~これでも仕事用です~

デザインの戦前モダニズム

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本ブログは戦前モダニズムがお題目のひとつですが、これまで芸能関係の戦前モダニズムしか書いていませんでした。
しかしですね、デザインの世界にも戦前モダニズムは存在しています。
今度また詳しく書きますが、戦前のデパートの広告の洗練度は極めてレベルが高い。専門的なハナシ抜きにしても、単純に相当カッコいい。
そして戦前モダニズムデザインの極北が「グラフィックデザインのルーツ」の回で名前を出した名取洋之助率いる日本工房が作り上げた「NIPPON」(1934年創刊・同じく戦前に大阪毎日が発行していた同名雑誌とは別物)という雑誌なのです。

とはいえそもそも「NIPPON」は普通の雑誌ではありません。詳しくは「NIPPON 名取洋之助」あたりで検索してもらえればわかりますが、あくまで「海外に日本の印刷技術の高さを誇示する」ために作られた雑誌です。だから日本の書店では流通しなかった。
何しろ海外向けだったからね、普通の日本人はその存在すら知らなかったし、仮に存在は知っていたとしても、どれくらいの号数が発売されたのかもつまびらかではなかったのです。
ところが近年、これらの雑誌が発掘され、あまりにも洗練された誌面に一部の人たちが狂喜乱舞する事態になったのです。

この雑誌の中心人物である名取洋之助は、いわばお坊ちゃんで、ドイツに遊学中(といっても時代は1930年代始めのことです)、とあることがきっかけで報道カメラマンとして活動しはじめます。(ドイツ、というのがミソで、当時のドイツといえば・・・いや、この話はまた今度)
やがて帰国した彼を中心に若手の精鋭が集まり日本工房が生まれ、彼らたちの手により「NIPPON」を創刊するに至るのですが、ごく初期には木村伊兵衛、それ以降もカメラマンでいえば土門拳、グラフィックデザイナーとしてはのちに東京オリンピックの公式ポスターのデザインを担当した亀倉雄策など、本当に精鋭揃いでした。
彼らによって作られた誌面は、まさに「時代の10歩先を行く」もので、つまるところまったく大衆的じゃない。でも、だからこそ、数十年も後になって、一部とはいえ人々を狂喜乱舞させることが出来たのですがね。

とはいえ時代が時代です。カラーフィルムの使用はまだ一般的ではなく、誌面を飾った写真の大半はモノクロ写真でした。
ところがモノクロ写真を様々な方法を用いて誌面を賑わせます。
たとえばモンタージュという手法で、いくつもの写真を合成することによって「現実ではあり得ない、しかしもっとも現実的な空間」を創り出したりしている。「リアルではなくリアリティー優先」とも言えるかもしれない。
文字の使い方も洗練されており、モノクロ写真にカラーでクールな活字を被せる、という手法で、下手したら今の雑誌よりもクールさを演出したのです。
先ほど「海外向け」だったことは述べましたが、これもモダンでクールな誌面作りに役立っており、多種多様な洒落た英数字の活字を実に上手く使い分けているのです。
これが日本向けの雑誌だったら、こうはいかなかったと思う。当時はまだ日本語の活字は古臭くて読みづらいものしかなく、実際日本語が出てきた途端、誌面がダサくなってる。
題字とか一部ならレタリングって方法もあるけど、文章ブロック全部をレタリングなんてさすがに不可能で、これは戦後になって以降、洗練された日本語活字の登場を待たねばなりませんが、それはまた別の話。

さて、「NIPPON」を作り上げた日本工房の仕事を、ワタシどもの作中でどういう風に活かすかとなると、かなり難しい問題です。精鋭集団である彼らは「NIPPON」のレイアウトが「時代の10歩先を行」った仕事だと自覚していたとおぼしいし、これが戦前の人たちの平均的なデザインセンスである、とはとてもじゃないけどいえません。日本工房の仕事はある意味時代感覚を無視した仕事だからね。
そういうのをたいした検証もなしに「こういった雑誌で育った人たちが、1960年代の時代の空気を作った」と考えるのは危険で、となると「より時代に寄り添った」戦前のデパートの広告デザインを「戦前モダニズムの感覚で作られたデザイン」と見做す方が適当です。
では当時のデパートの広告とは如何なるものだったのか、それは別の機会にでも。

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