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~これでも仕事用です~

小林一三と野球、と阪神

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本ブログを立ち上げるにあたってタイトルをね、最初ミュージックフェアみたいに「Goodlucklight!2015」にしようと思ってたんですよ。んで来年になったら「Goodlucklight!2016」になるっつー。
やっぱ、面倒だな、と思って止めたんですが、次に「Goodlucklight!1936」ってのを思い付いた。
戦前モダニズムをひとつの柱にしようってのは決めてたから、個人的に中心となる年は1936年だな、と。様々な理由でこの年を頂点に戦前モダニズムは緩やかに衰退していくわけで、1936ってのはいいなと。
ま、戦前モダニズム以外のことも書くし、そうなったら意味わかんないなと思って止めたんだけどね。

先週、小林一三の邸宅を改装した小林一三記念館に行ったことを書きましたが、現在ここで開催されているイベントは「小林一三と野球」。かつての阪急ブレーブスに思い入れのある方は行って損のない企画です。
さて、小林一三の野球にたいする情熱は凄まじく、現今のプロ野球が始まるずっと以前、日本初のプロ野球球団といわれる芝浦協会を引き取り活動させ、芝浦協会改メ宝塚運動協会が頓挫した後も、阪急を中心に阪神、京阪、南海、近鉄などを巻き込んだ電鉄リーグを構想するなど、何とかプロ野球を一大興業にしたい思惑を隠そうとしませんでした。
1936年、ついに日本でもプロ野球、当時の名称でいえば職業野球のリーグ戦が開始します。
しかしこの時、音頭を取ったというか、中心にいたのは小林一三ではありませんでした。
「西の小林一三、東の正力松太郎」と並び称された正力松太郎もまた、プロ野球創設に並々ならぬ意欲を燃やしており、結果的に小林一三の構想した電鉄リーグは実現せず、正力松太郎の読売新聞を中心とした職業野球構想が実現したのです。

ここで阪神電鉄という、とんでもないキーパーソンが現れます。
時代は飛びますが、戦後の1950年、プロ野球セントラルリーグパシフィックリーグに分裂しますが、この時もキーパーソンだったのが阪神で、すったもんだの挙句、阪神は読売新聞率いる巨人軍との連帯を選び、阪急は毎日新聞を中心とした新リーグ(パシフィックリーグ)に加盟することになった。
この事が、のちの阪神タイガースが有数の人気球団となり、阪急ブレーブスは身売りという形で球団経営から退くことになった遠因といわれています。

しかし、プロ野球創設時点ですでに雌雄を決していたといっても過言じゃないのです。
もう一度、リーグ戦開始の前年、つまり1935年に話を戻します。
阪急、というか小林一三は幾度も阪神電鉄にたいして電鉄リーグへの加盟を要請しますが、阪神はこれを断っている。甲子園球場という大球場を持ち、すでにノンプロチームを持っていたにもかかわらず、です。
ところが読売新聞の誘いにはなびいた。しかも所有のノンプロチームをプロに昇格させるのではなく、一から選手を集めるといった力の入れようを見せたのです。
阪神球団が結成されたのは、ちょうど小林一三の外遊中であり、阪急は素早い手が打てなかった。これが結局後々まで響くことになるのです。
帰国後、小林一三はすぐさま阪急球団を結成し読売へのリーグへの参加を決め、西宮北口駅に所有していた広大な土地に近代的でモダンなスタジアム(西宮球場。2002年閉場。現在の阪急西宮ガーデンズの場所)を建設せよ、と指示しますが時すでに遅しで、日本のプロ野球の歴史は巨人軍と阪神タイガースを中心に作られていくことを変えることは出来なかったのです。

小林一三の功績は数限りなくあります。しかしそうした成功の裏で、どうしても上手くいかなかったのがプロ野球事業で、小林一三プロ野球への夢をことごとく打ち砕いたのは阪神電鉄だったといっていい。
阪神タイガースのフロントは、野球ファンから能力が低いように言われることが多いのですがとんでもない。阪神ほど上手く立ち回ってきた球団はない。企業としては阪急よりはるかに小さいにもかかわらず、一度も球団の身売り話などなかったことが何よりの証明です。
小林一三のようなカリスマ経営者はおらず、にもかかわらず、小林一三阪神に何度も煮え湯を飲まされた。
あの天才実業家・小林一三を持ってしても阪神の、ある時は姑息に、ある時は大胆に、まさに機を見るに敏としかいいようのない立ち回りに、いいようにやられ続けたのです。

現在阪急と阪神は「阪急阪神ホールディングス」というひとつのグループに収まってしまいました。大きさとしては圧倒的な阪急が阪神のような下から数えた方が早い総路線距離の電鉄会社と(少なくとも見た目上は)対等なことに違和感がないのは、阪神には阪神タイガースという絶対ブランドがあるからです。
そのブランドを作れたのは、小林一三が提唱する電鉄リーグには加盟せず、読売新聞が提唱するリーグに加盟した、ことにあると思うわけでして。

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