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~これでも仕事用です~

謎のタアキイの謎解き

戦前モダニズム
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先週の「謎のタアキイ」で、あえて一切触れなかったことがあります。それは「タアキイ 水の江瀧子伝」という本についてです。

著者は中山千夏。ワタシら世代には「じゃりン子チエ」での声優業が一番親しみ深いのですが、子役でデビューし、その後女優を廃業して裏方に近いところに回ったという、ある意味タアキイと近しい経歴を持った彼女が、まだタアキイが健在の頃に出版したのがこの「タアキイ 水の江瀧子伝」です。

これが実にフシギな本で、聞き書きじゃないし、あくまで中山千夏が調べた、でもわからないことをタアキイに、まるで「事情聴取」するかのように聞き出し、さらにそれの裏を取る、という、とんでもない面倒なことをやっている。
こんな面倒なことを「やらざるを得なかった」理由を最初の章で「トウトウと」述べているのですが、正直にいえば、ワタシはこの最初の章で挫折しそうになった。

この手の本の常として、まずは「何故本をしたためようと思ったか」みたいな理由が書いてあるものですが、とにかく「私=中山千夏」が強い。少なくとも最初の章の時点では、「私」のことを語るための文章にしか思えず、タアキイは単なる素材にしかなっていないのです。
もう、こんな感じでずっと、「私」の存在感が消えないなら、途中で読むのを止めようとさえ思ったほどです。

結局、最後まで「私」は消えない。消えないんだけど、二番目の章から主従がちゃんと逆転して完全にタアキイが主役になってる。しかも相当念入りに構成してあるのもわかる。
ワタシが一番興味がある松竹歌劇のことに大半を費やし、でもちゃんと石原裕次郎との軋轢やロス疑惑にも触れているのが珍しい。

本人に確認を取りながらの伝記って、スキャンダラスなことやあまりイメージのよくないことは黙殺してあるのが多いんです。
でもこれは避けてない。タアキイ本人にも(たぶんあまり語りたがらなかったんだろうけど)語らせている。
だから上手いなぁと一瞬思ったけど、いや、興味シンシンのワタシを「読むの止めよう」と思わせたんだから、やっぱりそんなには上手くないか。

中山千夏がこの本で試みているのは、伝説の謎解きです。
といっても「謎のタアキイ」で書いたような「何故人気があったか」の謎解きではない。というかそんな無駄なことはしていない。だってわかるわけがないんだから。
しかし天性のレビュー役者が活躍すべき場を失っていく様子は克明に活写されており、とくに歌舞伎の女形と少女歌劇の男役との世間の扱いの差など、ワタシには目から鱗でした。

他にも注目すべきことはいろいろ書いてあるんだけど、もちろん同意できないこともあって、たとえばジュリー(アンドリュース?まさか。沢田研二に決まってるじゃないですか)のことを持ち出して「ジュリー同様、世間で言われるほど、タアキイは歌が下手ではなかった」という風にしてあるけど、ま、これは誰がなんといおうと、レコード音源で聴く限りは、タアキイの歌はまったくもって稚拙としか言いようがない。
タアキイとジュリーなら、世間の評価とは一切関係なくワタシが判断するに、ジュリーの方が全然「まとも」です。
ジュリーも歌唱力が売りではないとはいえ別に普通に聴けるけど、タアキイは無理だもん。やっぱ、ちょっと、笑っちゃう。わざと音痴に歌うってギャグがあるけど(清水ミチコ浅田美代子の真似とか)、もうほとんどそれだから。

ただ読了してみて感じたのが、やっぱ人生って一本の線で繋がってるなと。後年の日活プロデューサーとして活躍できるだけの素地も、こういっちゃナンだけど、甥っ子があんな事件(もちろんロス疑惑ね)を起こす素地も、もうかなり早い段階で芽吹いてるんです。突然興味がないものに興味を持ったり、突然出来なかったことが出来るようになったり、そういうのはないんだよね。
もう信じられないような大昔に、今に繋がる出来事があったりする。当人は記憶としては忘れてても関係ないわけで。
それは誰でもそうなんじゃないのかね。

あ、この本読んで思いだしたんだけど「エノケン・ロッパの弥次喜多ブギウギ道中」にタアキイも出てたんだった。カバー裏にはおそらくこの頃と思われる3ショットが載ってるし。
いやぁ、こうなるとますます観たくなる。これ、公開直後に起こった松竹下加茂撮影所の火災でフィルムが消失したって聞いたことあるんだけど、どうなんだろ。そりゃネガは燃えたんだろうけど、プリントがひとつも残ってないわけないと思うんだけどね。
だって、エノケン・ロッパ・タアキイ揃い踏みですよ。そりゃ観たいに決まってるでしょうが!たとえどれだけツマラナイシロモノでも、ね。
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