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~これでも仕事用です~

阪神間モダニズム

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本ブログの守備範囲である「戦前モダニズム」って言葉ね、Googleで検索してもらえればわかりますが、ほとんど建築物のことしかヒットしないんですよ。
たしかに建築物は戦前モダニズムを象徴するものには違いないんだけど、今までここで取り上げていた芸能関係やグラフィックデザインも戦前モダニズムの象徴だと思ってるんだけど。

それにWikipediaに「戦前モダニズム」という項目は存在してない。「昭和モダン」ならあるけど、内容も極々薄い。
しかして「阪神間モダニズム」って項目があって、そっちはそれなりに充実しています。建築物の名称がほとんどだけど、ちゃんと重要人物の名前も入っているし。

ワタシは神戸市生まれなので、Wikipediaの「阪神間モダニズム」の項にある御影公会堂なんか、もうホントに馴染み深い。
古川ロッパの1939年7月4日付の日記にも『(前略)座員数名で、御影の嘉納氏(筆者注:嘉納健治=通称・ピス健といわれた神戸のヤクザ)のところへ顔出しをする。御影公会堂の地下食堂で御馳走になる。中々いゝ公会堂なので、此処で慰問をやらうと言ひ出したら、土地の婦人会の人がすぐ来て礼を言はれちまった。(後略)』とあります。

何故に阪神間モダニズムなんて項目がWikipediaにあるかといえば、ま、Wikipediaを読んでもらうのが一番早いんだけど、戦前モダニズム≒阪神間モダニズム、だったからです。

昨今、ワタシは東京のマスコミが繰り広げる、大阪を発展途上国扱いするネガティヴキャンペーンにほとほと呆れてるんだけど、ワタシが刮目する戦前モダニズムの時代、つまり昭和初年から太平洋戦争が始まるまでの時期ですね。この頃は「日本最大の商業都市」の座を、東京と大阪が抜きつ抜かれつの激戦を繰り広げています。

大阪が逆転したきっかけは大正末期に起こった関東大震災とその余波の影響ですが、白井松次郎大谷竹次郎の双子が松竹を起こし、関西出身ではないものの小林一三箕面有馬電気軌道を買収して大阪急の基礎固めをするなど、優秀な人材を次々排出します。
それをいえば現存する新聞社も、朝日新聞毎日新聞も元々大阪の新聞であり、現在の芸能マスコミの源流は関西の資本家が築き上げた、といっても過言ではありません。
(あとは西の小林一三、東の正力松太郎、東の五島慶太、と並び称された正力松太郎五島慶太ですが、正力松太郎五島慶太も関東出身ではない)

当然モダニズム溢れる建築物は大阪から始まった、は言い過ぎですが、東京とほぼ同等のモダンな街並みを形成していました。
その後大阪はゆるやかに下降していき、東京のマスコミは、大阪が自らの源流であることを知ってか知らずか大阪を発展途上国扱いし始めるに至るのですが。

大阪が当時最先端の街だったことを示す資料はいくらでもあります。
当時のアドバタイズメント、つまり広告ですね、この時代の東京と大阪のポスターをはじめとする広告デザインでいえば、大阪のものが東京を凌駕しています。
むしろこの時代、後追いなのは東京の方なのですがね。大阪が東京の後追いを始めたのは、経済の地盤沈下が酷くなったここ数十年の話なんだけど。

きっとワタシが戦前モダニズムにある種の郷愁をおぼえるのは、阪神間モダニズムの残り香のあった街で育ったからなんでしょうね。これがもしワタシが東京出身、いやさすがに銀座とか有楽町とかで育っていたら違うんだろうけど、東京でも郊外はもちろん、渋谷や新宿といった新興地(戦前、という括りなら渋谷も新宿も十分新興です)なら、ここまで戦前モダニズムに郷愁をおぼえたかどうか。

今回は「さわり」です。今後、阪神間モダニズムといわれる建築物も人材も芸能も、いろいろ書いていきたいと思っておるわけで。
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