~これでも仕事用です~

絶妙のイマタケ

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以前名取洋之助率いる日本工房が作り上げた「NIPPON」という、時代の10歩先を行った戦前の雑誌を取り上げたことがありました。

よくね、時代の半歩先を行くくらいがちょうどいい、それ以上だと大衆がついてこれなくなる、と言われます。
それを考えると「NIPPON」は当時の大衆がまったくついてこれない誌面作りであり、もちろんそれは構わない。あれはあくまで海外向けであり、日本の印刷技術を誇示するために作られたものだから。つまり大衆はハナから相手にしてなかった。
では大衆を相手にした、それでいて「戦前モダニズム」の息吹を感じさせるデザインは、となると、どうしても今竹七郎の名前は外せないのです。

ところでみなさん、オーバンドってご存知ですかね。ま、輪ゴムです。もしかしたら部屋のどこかに、いや最低でもオフィスにはほぼ確実に常備してある箱入りの輪ゴム、アレです。(上の画像参照)
で、このオーバンドの箱のデザインをしたのが今竹七郎って人なわけです。
オーバンドに限らず、たとえばメンソレータムのナースが描かれたマークもですし、古い野球ファンならご存知の、南海ホークスのロゴマークなんかも彼の手によるものです。
これらは戦後の仕事であり、では戦前、今竹七郎って人が何をしていたか、なのですが。

1905年に兵庫県神戸市に生まれ、極めて外国文化の色濃い環境で育った彼は、などのプロフィールはいつものようにWikipediaなんかを見ていただくとして、神戸大丸→大阪髙島屋で辣腕をふるったのちにグラフィックデザイナーとして独立するのですが、大丸や髙島屋に在籍していた当時のデザインの数々は今持って古びていない。

しかしそれらは「NIPPON」のように、時代の10歩先を行くデザインではなく、まさしく時代に寄り添ったデザインで、にもかかわらず極めて質が高いのです。
彼こそが「阪神間モダニズム」をデザイン面で支えた人なのです。(余談ですがもうひとり、この時代で関西出身のデザイナーでいえば里見宗次がいるけど、この人はもう純粋に出身ってだけで「阪神間モダニズム」の人とは言い難い)

この時代、東京では、それこそ「NIPPON」に携わった亀倉雄策山名文夫(のちに資生堂のデザインを手がける)などがいましたが、留意しておきたいのが、今竹七郎が手がけていたのは、あくまでアドバタイズメント(広告)だということです。
たしかに「NIPPON」は特殊な雑誌ですが、それでも雑誌というのは表紙以外、つまり中身にかんしてはある程度のリーダブルさを保てばわりと「やりすぎ」、つまりお洒落すぎても大丈夫なんですよ。

しかしアドバタイズメントは違う。
チラシやポスターなどは特にですが、完全に一発インパクト勝負で、人々の目に止まるものでなければならない。インパクトを保持しながら洒落たデザインというのは極めて難易度が高いのです。インパクトを重視すると、どうしてもベタなデザインになってしまいがちで、これはワタシもチラシのデザインを長い間やってたから痛いほどわかる。

ところが今竹七郎は違うのです。
戦前モダニズムからは外れるけど、彼の凄さは先述したオーバンドのパッケージデザインを見るだけでわかります。
限られた色数、デザインチックなレタリング、にもかかわらず全体としてはなんとなく輪ゴムを連想させるわかりやすいデザイン。
さすがに今見るとお洒落ではないけど、オフィスのデスク上にポンと置いておいても、少なくともダサくはない、完全に溶け込んでしまう。
時代の、たった半歩先しかいってないにもかかわらず、数十年経った今でも違和感なく「そこにある」ものとして成立している。
時代の半歩先を行ったインパクトのあるデザインとして登場し、その後定番化するほどの寿命がある。
これを凄いといわずしてなんといおう。

当然戦前の彼が手がけた数々のアドバタイズメントデザインにも、それらが息づいています。
強いインパクト、にもかかわらずどことなく洒落ている。彼が本当に凄いのは、幼少の頃より培われた自身が持つ洒落た感覚だけに頼らず、それをアドバタイズメントにまで昇華させたことにあるのです。

「阪神間モダニズム」というエントリの中で、むしろ当時のグラフィックデザインは東京は大阪の後追いだった、と書きました。
しかし正確には、今竹七郎の後追いだった、といってもいい。そしてそれらは「アドバタイズメントデザインの基礎」となったわけでね。
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