~これでも仕事用です~

平井英子と茶目子とグミちゃん

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終戦を機にスパッと芸能界に縁を切った、実際はどこまで強固な意志があったのかはわからないけど、戦前はそれなりの活躍をしながら、戦後は一切芸能活動をしていない人は結構います。
となるとその後の消息も不明な場合もあって、没年すらわからない、なんてことさえあります。

そういう人たちはやはり女性が多い。男性でも、たとえばエノケンエンタツアチャコの主演映画を多く撮った監督の岡田敬など、1942年に東宝を辞めてフリーになった後、同年に大映で一本撮っただけで、以後の消息はまったくわからない。当時はエノケンの取り巻きのひとりだったといわれていますが、以降エノケンとなんらかの形でかかわった形跡もありません。

ま、それでも男性で目立った人は岡田敬くらいで、あとは大半が女性です。
たとえば「續・エノケンの千万長者」で関西弁をしゃべる威勢のいい奥さんを演じる若山千代っていう女優さん、わかるのは「松竹楽劇部出身」「数枚のレコードを出している」「中野英治の愛人だった」くらい。出身も生年も没年もわからない。

エノケン映画で数多くの作品でヒロインをつとめた、しかもエノケン一座に所属していた宏川光子の場合も、何故か没年ははっきりしているのですが、足跡となるとよくわからない。
宏川光子は1944年の時点で何故か宏川「美津江」に改名しているのですが、理由も、いつ改名したかも定かじゃない、など、結構不明点も多いのです。
足跡ってことでいっても、一時期水島道太郎と恋人関係だったといわれますが結婚したわけじゃないし。
いやね、たとえば以前名前を挙げた堤眞佐子なんか、俳優の北沢彪と結婚したので、そういう場合は消息を掴みやすいのですがね。(ちなみに堤眞佐子自身は戦後も女優を続けている)

というわけで、平井英子です。
平井英子が正確にいつ芸能活動を辞めたのかさだかではないのですが、彼女も戦前の代表的な作曲家である鈴木静一と結婚したので消息が掴めた。しかも2014年の時点でまだ存命(!)なのもはっきりしています。

彼女はもともと児童歌手であり、1929年(当時11歳)に「茶目子の一日」というヒット曲を出しますが、これは実はカバーであることを留意していただきたい。
その後、といってもだいぶ間隔がありますが、変声期後に岸井明とデュエットした「煙草屋の娘」がまたしても大ヒットします。

余談ですが、Wikipediaでは「煙草屋の娘」がビックカメラのCMソングの元歌となってますが、これは違いますね。あれの元歌は賛美歌です。そして、これはハンドルネームでやってるブログに大昔に書いたけど、「煙草屋の娘」を元歌に作られたのは、かつて大阪にあった食堂「千日堂」のCMソングです。

いや「煙草屋の娘」の話はいいのです。たしかに平井英子の声はとてもキュートなんだけど、それは岸井明についての時にまとめて書くとして「茶目子の一日」です。
この曲が発表されたのが1919年。いうまでもなく大正時代です。当時茶目子として歌ったのは木村時子という人で、戦後も活動したようですが、あいにくどんな人かワタシは知りません。
この木村時子版茶目子が計2枚レコードをリリースし、しかしヒットしたのは1929年に発売された平井英子版茶目子で、いわば平井英子は二代目茶目子ってことになります。

珍しいのが、「茶目子の一日」のアニメーションが作られたことで、おそらく「レコード→アニメーション」としては本邦初のはずです。もしかしたら本邦初のPVってことになるのかもしれない。(ただしアニメーションはレコード発売から数年経った後に作られたらしい)

アニメーション版「茶目子の一日」が如何なるものか、YouTubeにあるのは違うのですが、ニコニコ動画にまさに平井英子版の動画がアップされています。(2015年10月現在)
ニコニコ動画はアカウントがないと閲覧できないので、是非、とは言い難いのですが、もしすでにアカウントをお持ちであればご覧になって欲しい。

当時の日本のアニメーション技術の低さもさることながら、今ならさしずめ「ステマキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 」となるような「ライオン歯磨」なんて商標が唐突に出てくるし、本ブログに何度も名前を出している二村定一が先生役で出てきたりもする。
だから、まァ見所はいろいろあるんだけど、それより大正〜昭和初年期の日本人の暮らしがもっともダイレクトに伝わってくる資料としても貴重なのです。
当時のかったるい映画(もちろんサイレント)を観たり、歴史資料館に足を運ぶより、このアニメーションを見る方がよほど当時の「暮らし」がわかります。

さてさて、「茶目子の一日」の舞台になっているのは都心部のアッパーミドルの家庭で、ワタシたちが作っている「Gumi-chan1961」とは違うといえば違う。当たり前だけど、時代も全然違うし。
しかしそれでもこのアニメーションに大いに感銘したのは、ひとつだけ強烈な共通点があるからなのです。

茶目子の妄想力はパラノイア、は言い過ぎにしても、相当たくましいレベルです。食べ物まで擬人化しだしたら、普通は、もう、何も食べれないよ。
実はグミちゃんもそういう子なのです。グミちゃんの妄想は瞬間瞬間というよりストーリーになっており、小さい小さいひとつの事実から徹底的に妄想を膨らませて、やがて常人かついていけないレベルにまで発展する。

しかし妄想の表現ってのは、殊の外難しいのですよ。なかなか妄想特有の奇想天外さが出ない。逆にやり過ぎると今度は人様に見せられないグロテスクなものになりかねない。
茶目子の妄想は奇想天外だけど、ギリギリ人様に見せられるレベルに収まっている。そこが凄い。
そういうのは、どんどん見習わないとね。