読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
~これでも仕事用です~

エノケン映画鑑賞記5「エノケンの孫悟空」

f:id:gumiyoshinobu:20151107142001j:image

久々にエノケン映画のことを書きます。

実は「エノケン孫悟空」という映画はありません(テレビ番組では同題のものがある)。1940年に制作された映画はタイトルクレジットも、そしてワタシが知る限りのポスターや販促関係も、どこにも「エノケンの」とはついていない。全部、単に「孫悟空」で統一されています。
のちに再公開された時、もしくはビデオ化された時に、おそらくシリーズであることをアピールするために「エノケンの」という冠をつけたのでしょう。
それ以降この題で通っていますが、まァ、リアルタイムではそうじゃなかった、と言いたいわけで。

『「孫悟空」ははなはだまとまりの悪い映画で、傑作でもなんでもない。(中略)現在の目で見ると、冗長である。アクション、笑い、レビューのいずれもが徹底していない。』(小林信彦著「一少年の観た<聖戦>」より)

しかしワタシの感想は違います。
それなりの数の戦前の邦画を観た中では、もっとも「まとも」に観れる作品であり、エノケン映画の中でなら確実にナンバーワンです。
たしかに小林信彦氏の言う通り「まとまりの悪い映画」なのですが、他のエノケン映画に比べたら、これでもまとまっている方なんですよ。悪くいえば、他のエノケン映画がまとまってなさすぎるだけなんですが。

細部をみれば粗いところは、ある。いや正直雑というか、もっと時間をかけて作ればだいぶ質が上がったんじゃないか、とは思う。
また、技術的に未熟なところもあり、孫悟空がキン斗雲ではなく飛行機に乗ってるのは、軍国日本の象徴でもなんでもなく、合成の限界でああなったらしい。(合成を担当したのが若き日の円谷英二で、のちに「合成のところがガクガク動いてね。映画館の隅っこでハラハラしていました」と語っている)

でもこの粗さや技術の未熟さを含めて、その後幾多作られた「西遊記」モノ、そして子供向け作品の原点が詰まっているんです。
当然(意図的かどうかはともかく)フォロワーとなった作品に、幼少時代のワタシも影響を受けている。だからこの作品を否定してしまうと、ある意味自分の原点までも否定することになる。
だから評価が難しくなってしまうのですが。

「青春醉虎傳」について書いた時、エノケンは「今でいえば、モダンなインド映画みたいなものを作りたかったんだろうな」みたいに書きました。
それでいうと「孫悟空」はまんま「モダンなインド映画」で、とにかくレビューシーンの数がハンパじゃない。感覚としてはほぼ全編レビューシーンじゃないかくらいの印象です。

エノケンはレビューの人」という色川武大の意見を信じるワタシとしては、もうそれだけで比較的満足度が高い。(「比較的」止まりなのは、二村定一との掛け合い漫唱がないせいです。つか二村定一が出てないし)
またエノケン以外の人が歌い踊るシーンもレベルが高くて楽しい。
とくに岸井明の「世紀の楽団(アレキサンダースラグタイムバンド)」の歌唱を映像で観れたのは嬉しかった。

が、意外や意外、実はこの映画、レビューシーン以外もいいのです。
といってもギャグが面白いというわけじゃない。じゃなくて何かストーリーの組み立てが上手いのです。
三蔵と悟空の関係性も、悟空、八戒、沙悟浄の友情、そして「殺生してはいけない」という戒めが物語の縛りとして非常に効いている。
だから「毎度お馴染み」の話でありながら、喜劇として最低限の緊張感を維持できているのです。

ここから本題である「原点」の意味合いの強さについて書いていきます。
子供向けの原点ってことでいえば、主題歌の「孫悟空のテーマ」なんか、まるまるテレビアニメ黎明期の主題歌風で、エノケンたちじゃなくて上高田少年合唱団や西六郷少年少女合唱団が歌えば、そのまま「モノクロ時代のヒーロー物アニメの主題歌」として通用するんじゃないでしょうか。
(ただし原曲っつーか元ネタは「The Man on the Flying Trapeze」という作詞作曲者不詳の古い曲)
西遊記モノの原点でいえば、孫悟空三蔵法師のことを「おっしょさん」って呼んでるんだよね。この呼び方ってワタシが慣れ親しんだ堺正章主演「西遊記」と同じなんですよ。

今から10年ほど前にハンドルネームでやってるブログでね、西遊記って物語の各キャラクターの役割について「孫悟空はツッコミでなければならない、ボケは化け物や舞台そのものなんだから」なんて書いたんだけど、「エノケン孫悟空」はね、孫悟空に限らずワタシが定義したキャラクターの役割から逸脱してないし、逸脱しない範囲で付け足しがある。

付け足しってのは八戒が「歌が好き」という設定で、こうすることでお供三匹だけで場が持つようになる。
こんな設定になったのは、八戒を演じたのが「唄ふスタァ」岸井明だからでしょうが、八戒というキャラクターそのものの深みにもなっています。
小林信彦氏は先の本の中で「この映画のエノケンは面白くない」というようなことを書いてますが、これも異を唱えたいところで、実はこの映画でのエノケンの役割は、ワタシが西遊記という作品のキャラクター定義とした「ツッコミ」なんですね。
むしろそのわりには、「沙漠よいとこ」でのヘンテコなダンスとか、他のエノケン映画と比べても笑わせてくれてる方です。

少年時代にこの作品を観た筒井康隆は多大な影響を受けたと書いてますが、何だかこの映画には面白い面白くないを超越したエネルギーが内包されてるような気がする。まさに「もう二度とこんな映画を作ることはできない」といった空気が充満しているというか。
様々な原点となり、スタッフとキャストの燃焼度がハンパじゃないこの作品を、稚拙な部分をあげつらって批判するような真似は、ワタシにはちょっと出来ないわけで。

広告を非表示にする