~これでも仕事用です~

ロッパの立ち位置

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当ブログ「Goodlucklight」の第4回エントリ「エノケン!ロッパ!カサギ!」にて「戦前戦中期のタレントはこの3人を中心に書いていく」みたいなことを宣言しました。
エノケンは主演映画についてかなり書いたし、笠置シズ子のことも(ざっくりとした流れだけだけど)書いた。
なのに古川緑波だけが置き去りになってました。
さすがにそろそろ、ですね。

さて、本ブログでも「エノケン・ロッパ」といった具合に、榎本健一古川緑波を対にして扱ってますし、「エノケン・ロッパの時代」なんて書籍もある。
しかし、1968年生まれのワタシが、つまりリアルタイムで知らない人間が物凄く正直にいえば、エノケンとロッパを同列に扱うことにたいして全然ピンときてないのですね。

戦前の古川緑波の主戦場は舞台であり、エノケンに比べると「芸」がパッケージングされたものは少ない。映画もそこまで出たわけじゃないし(しかもエノケン映画よりさらに観るのが困難)、自ら「声帯模写」という造語を作って演じていた物真似も、そこまで残っているわけじゃない。
歌のレコードはそれなりに数がありますが、この人を「歌」で評価しちゃいけないと思うしね。

エノケンにかんしては、以前も書いたように、コメディアンというより「喜劇的素養が豊富だったミュージシャン」というのがワタシの見解です。
幼少よりバイオリンを嗜み、全盛期においても抜群のリズム感を活かしたジャジィな歌い方は十分ミュージシャンとして扱えるだけのものがあります。

ところがロッパには「音楽面での」素養もなければ修練の経験もない。彼の舞台は音楽要素が強かったと言われますが、彼自身は別段音楽に強かったわけじゃない。だから歌える、といっても、いわば物真似の延長であり、所詮は素人歌唱です。(「古川ロッパ昭和日記」を読んでも、楽士や楽団に指示した形跡はまったくない。せいぜい「私語がうるさい」とかその程度)
残したレコードの中では「恋のカレンダー」とか「歌へば天国」あたりは佳曲なんだけど、ロッパが歌ったから佳曲になったわけじゃないし。もっとはっきりいえば、歌唱面での貢献は皆無に近いと思うんですね。

では演技は、というと、舞台での姿がわからないのは当然なので、ある程度割り引くとしても、映画での演技は、これも正直いえば、かなりクサい。
唯一、物真似だけは「さすが」といえるレベルなんですが、これもプロというより、レベルの高い旦那芸というか素人芸というか道楽芸です。
つまり演技も歌も物真似も、玄人の部分が皆無なんですね。
ワタシは素人芸そのものは否定しない。ただ素人芸はリアルタイムでないと評価できないとも思うわけで。

にもかかわらず、ワタシがロッパをエノケン笠置シズ子と同列に扱うのには訳があります。
以前書いたように、ここ数年、ロッパは文筆家としての再評価が始まっています。
これはワタシも同感でして、本当はエノケン笠置シズ子と並べるんじゃなくて、同じく戦前モダニズムを文学面で支えた高見順川端康成と並べたい。
つまり、「浅草紅団」や「如何なる星の下に」と同列に「古川ロッパ昭和日記」を扱いたいのです。

また書かれた時期こそ戦前ではないものの、戦前の記憶に基づいての記述が多い「ロッパ食談」なんか、もう、こんな、楽しい食エッセイは他に知らない。
横暴だったといわれる人柄とは正反対で、これほど軽妙洒脱という形容が似合うエッセイもそうそうありません。

古川ロッパ昭和日記」に話を戻しますが、喜劇王だったロッパが記しているので、当然当時の舞台、映画、レコードの裏側も書いてあります。
もちろんこれが標準だったかはわかりませんが、狂言の演目がいつくらい前から準備されるものだったのか、映画の撮られ方、レコーディングの方法など、極めて具体的にわかる。
芸能以外のことでも、名店と呼ばれていた店の名物と値段も、そして世の中が戦時局に塗り染められていく様も、すべてが理解できるのです。

もしこの日記が出版されてなければ、あまりにもわからないことが多すぎて、ワタシ自身、戦前モダニズムに興味を持てなかったかもしれない。
つまり戦前モダニズムとは如何なるものか、は、この日記を読むことでかなりのことが解決できるのです。

とはいえ、高い。いや、カネのことはね、徐々に青空文庫に収録されていってるから無視するとしても、何しろ長い。いっても日記だからね。当時の暮らしに直接関係ない愚痴もいっぱい書いてあるから。
それでもこれは本当に、いろんな人に読んでほしい。読んでいただけたら、ワタシが何故ここまで戦前モダニズムに魅せられたのかわかってもらえるんですがね。
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