~これでも仕事用です~

ヨシミツ家の人々1

f:id:gumiyoshinobu:20151221141904j:image

今回からワタシのルーツであるヨシミツ家のことを書いていきます。

タイトル的には「楡家の人びと」ですが、あそこまでドラマチックなことは起きてない。だから、ま、セルフファミリーヒストリーです。いや、ファミリーヒストリーよりもさらに何にも起きないんだけど。
一応すべてワタシが見聞きした範囲での実話ですが、名前だけは基本的に仮名にしています。「個人情報ガー」とかは別にいいんだけど(登場人物の大半は故人だしね)、やっぱり、ちょっと、気恥ずかしいんで。

ワタシは兵庫県神戸市で生まれました。1968年のことです。
父と母が結婚したのが前年の1967年。翌年にワタシが生まれ、3年後に妹、さらに2年後に弟が生まれました。
父と母が離婚したのがワタシが中学一年の時。たしか1981年だったと思います。ま、この辺のことはよく憶えてないし、詳しい事情を母から聞いたことがないんでわからない。
当然父方の系譜は、ザッとした流れしか知らないわけで、詳細を書けるわけがありません。
なので今から書く「ヨシミツ家」とは母方のことになります。


1939年、といえば戦前モダニズムでいえば末期ということになります。
たしかにすでに日中戦争は始まっていましたし、いろいろ規制も始まっている。しかし市民の暮らしはそこまで圧迫されたものではありませんでした。

この年、ヨシミツ家に第一子となる長男が誕生します。名前はヤスシ。
ここで上の画像を見ていただきたい。おそらくヤスシが3歳の時の写真と思われます。ということは1942年。すでに太平洋戦争は始まっていますが、戦争の影は微塵も感じません。
写真館で撮影したであろうヤスシの姿を見ても、ちゃんと一張羅を着せてもらい、椅子の上にはキューピー人形も置いてある。
神戸という、大都会ではないけど、阪神間モダニズムの世界に住む、普通の家庭の一片が窺えます。

戦前のヨシミツ家はいわゆる中流だったそうです。
ヤスシの父、ワタシにとって祖父にあたるセンゾウは、1930年代はじめに神戸市内で鍛冶屋、今でいうところの鉄工所を興したのですが、ヤスシが生まれた頃から軍事需要でかなり羽振りが良くなったらしい。

ヨシミツ家は三宮のすぐ側で立地も良かったにもかかわらず、かなり広い敷地に住居兼工場を構えていたそうです。
当時としては小綺麗な居住用の二階建ての家と、今でいえば家庭菜園が出来るほどの庭、他にも離れと掘っ建て小屋があり、当然これにプラスして工場もある、といった具合です。

が、残念ながらこの家の写真が一枚も残っていない。どうも1950年頃取り壊して建て直したそうなんだけど、これ以前の写真はすべて写真館で撮られたものしかありません。
しかし手持ちの、当時の写真を見ても「羽振りの良さ」は十分感じ取ることはできます。
もっとも戦後になって没落していくことになるのですが、それはまた別の話。

さて、戦前の神戸の風景の話をします。とはいえ当然リアルタイムでは知らないのですべて後付けの知識ですが。
江戸時代最末期の神戸港開港に伴って出来た外国人居留地があった時代や、阪神間モダニズム華やかなりし頃を経て、ヤスシが生まれた頃の神戸は実に近代的でモダンな街並みを形成していました。

阪急三宮駅(当時の名称は神戸駅)の駅舎や神戸そごう、また神戸大丸などはすでにあり、他にも朝日会館や旧居留地のオフィス街はヨーロッパと見紛うばかりの建築が並んでいたのです。
居留地があった影響からか、外国の食べ物も多く売られており、ベーカリーのドンクやバームクーヘンで有名なユーハイム、洋菓子のモロゾフゴンチャロフといった、現在でも知られる店はすでに戦前の時点で神戸の街にあったのです。(ちなみに現在もあるベーカリーの神戸屋も大正年間創業だけど大阪の会社)

古川緑波は戦前、公演で関西を訪れることが多かったのですが、生粋の東京人である古川緑波は大阪の味はイマイチお気に召さなかったようだけど、神戸に関しては、安くて美味いものが多い、と賞賛しています。とくにドンクのパンがお気に入りだったとかで、わざわざ神戸から取り寄せてまで食べていたそうです。
本場風の本格的な味を楽しめる、ということに関しては、下手したら大阪や東京の銀座より先んじていたのかもしれせん。

ここで説明が必要になります。
当時の三宮は戦前モダニズムの象徴ともいえる街並みを形成していた、と書きました。
我が祖父であるセンゾウは鍛冶屋を営んでおり、三宮駅近くにそれなりの広さがある住居兼工場を構えていた、とも書いた。矛盾が生じています。
そんなモダンな街に鍛冶屋があったのか、ということになりますが、モダンな街並みはすべて省線(後の国鉄。現在のJR西日本)の線路より南側です。(例外は省線の線路に隣接する阪急三宮駅駅舎だった阪急神戸ビル)
んで、センゾウの住居兼工場があったのは北側。北側はいくら駅に近くてもモダニズムのカケラもない、普通の下町風の住宅街で低層住宅しかなかったらしい。
だから駅の側に居を構えることが出来たと。

今回はこれで終わり。次回はセンゾウに次男と長女が生まれ、また戦争が家庭へ流入してきます。
広告を非表示にする