読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
~これでも仕事用です~

ヨシミツ家の人々6

f:id:gumiyoshinobu:20151226161616j:image

この文章は「ヨシミツ家の流れを振り返る」ためのものですが、実際はすべてを書いているわけではありません。
特に登場人物はかなり整理しており、1946年に末っ子となる男の子、ブンゾウが生まれていますし、曾祖母(=センゾウの母)が同居していた時期もあったらしい。
ま、流れに関係ないので割愛させてもらってます。

さて、たぶんこの頃はすでに曾祖母はおらず、センゾウとオテイの夫婦に4人の子供だけのはずですが、1950年前後に犬を飼いはじめました。
それ以前にも犬がいたことがあるらしいけど、これはヨシエもほとんど憶えてないので、これまた割愛。

便宜上最初に飼ったのはチビという犬。元は雑種の野良犬だったらしいけど、綺麗な犬だったらしい。
で、チビが産んだ犬の名前はハチ。他にも数匹産んだといいますが、親のチビとは違って鼻の白い、いっちゃ悪いけど小汚い犬だったそうで、それが理由かハチだけは貰い手がなかったらしい。んでハチだけヨシミツ家で飼うことになったと。
ちなみにチビもハチも、さすがに犬なので実名です。

ハチはかなり長生きした、とヨシミツ家の人間は口を揃えていましたが、なんのことはない、せいぜい14、15年くらいだったらしい。
でもこの頃の基準でいえばかなりの長生きで、近所で犬が死んだ、となったらまずヨシミツ家に保健所の人が飛んできた、なんて笑い話もあるくらいです。

ワタシはこの犬を実際に見たことはありません。何故ならワタシが生まれる直前に死んだからで、だからワタシはハチの生まれ変わり、と言われてたとかなんとか。
それにしても、いくら可愛がってたとはいえ野良犬の生まれ変わりは酷いよ。まァ実際ワタシは野良犬みたいなもんだけどさ。

ヨシミツ家の取り柄は仲の良さでした。それは上の画像を見ていただければわかってもらえると思います。(一応説明しておくと、前例が左からヒデジ、ハチ、中列が左からヤスシ、ブンゾウ、オテイ、ヨシエ、後列がセンゾウ。セルフタイマーで撮ったようで、ピントが手前のダルマストーブに合っているのが残念)
貧乏で大人も子供も夜遅くまで働き、日曜日の映画鑑賞だけが楽しみ、そんな普通の家庭ですが、仲だけは抜群に良かった。

しかし少しずつですが家族に亀裂が入ります。
センゾウはモダニストで情操教育にはお金を使う人でしたが、こと勉学にかんしては頑迷でした。
この当時のセンゾウくらいの年齢で、とくに職人の人には珍しい考え方ではないのですが、義務教育を終えてから学校になんて行って何になる、それより1日も早く仕事をしろ、というような考え方の持ち主でした。

長男のヤスシは成績が良かったことから、中学の先生に強く進学を勧められ市内でも有数の進学校に行きましたが、次男のヒデジはそれを許されなかった。
ヒデジにしたところで成績は良かったのですが、センゾウは高校に行かせるのはせいぜい長男まで、と思っていたフシがあります。
そして、ヒデジの進学が許されないとわかったある日、突然ヤスシは高校を辞めてしまいます。

「ヒデジが高校に行かせてもらわれへんのに、僕だけ高校に行くわけにはいかへん」

これはヤスシが初めて見せたセンゾウへの抵抗です。
周囲も、もちろん学校の先生も、何度も思い留まるようにヤスシを説得したといいます。
しかしヤスシは聞く耳を持たなかった。
結局ヤスシは退学しますが、さすがに頑迷だったセンゾウも折れたのか、夜間高校なら、とヒデジの進学を認めざるを得ませんでした。

身内を褒めるのは照れ臭いのですが、ヤスシは勉強が出来ただけではなく、本当に聡明な人でした。
センゾウの情操教育のおかげもあって映画を観る力も本物で、まったく誰の受け売りでもない、しかし勘所を突いた批評が出来る人でした。

今思い出しましたが、ワタシが大学生の頃ですから1980年代の終わりか1990年代の最初に、まだ珍しかったBS放送に加入していたヤスシ叔父さんに一度だけビデオ録画してほしい、と頼んだことがありました。
録画を頼んだのはマルクス兄弟の「我輩はカモである」。今では格安DVDボックスに入ってるくらいですが、まだ当時はビデオソフト化されてない頃です。
おそらく日本では戦前(1934年)の封切公開以外は、二番館ですらほとんど上映されたことのない、いわば幻の映画といっても過言じゃなかった。
ワタシの要望にたいするヤスシの返答は見事なものでした。

「ああ、「カモ」かぁ。これはオモロイから観た方がええ」

「我輩はカモである」は主演のグルーチョ・マルクスですら「気違いじみすぎている」と評したほどのアナーキー極まる内容で、実際観たワタシの正直な感想をいえば、面白いことは面白いんだけど、名作というよりは怪作といった方がいい。
その後ワタシもアナーキーさが「売り」の映画をいろいろ観ましたが、どれも「我輩はカモである」には『遠く』及ばない。こんな無茶苦茶な喜劇映画が日本でいえば戦前期に作られていた、という事実は驚くというより溜息の出る話です。

それはともかく、ワタシの中ではあまり喜劇を観るイメージがなかったヤスシは、そんな幻の怪作を、観たことがあるのはもちろん、さらりと「オモロイ」とたった一言で評した。
ヤスシこそ本当の見巧者だったと痛感した一コマでした。

ヨシエ=母は今でもこう言います。

「もしうちが金持ちで、お父ちゃん(=センゾウ)が教育に理解がある人やったら、お兄ちゃん(=ヤスシ)の人生は全然別のモンになってた」

それはワタシもそう思う。映画評論家になったかどうかはともかく、この人の才覚があれば、広く世間に認められるような人間になったんじゃないかと。

しかしヤスシの人生は半ば決められていました。
それはセンゾウの後を継いで、鍛冶屋になること、でした。
続きます。
広告を非表示にする