~これでも仕事用です~

ヨシミツ家の人々7

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しかしヤスシは「鍛冶屋の跡取りになる」という、いわば宿命に素直に従ったわけではありません。

高校を中退したヤスシは友人数名と起業します。
いったいどんな業種だったのか、これはヤスシが生きているうちに聞いておくべきでした。しかし話を総合すると、少しは家業(鍛冶屋)と関係があることだったようです。
この中のひとりに、のちにヨシエと結婚する、つまりワタシの父になる人物がいるのですが、それはもう少し後の話です。

ヨシエ(母)はヤスシをこう評しています。

「お兄ちゃんは典型的な貧乏お坊ちゃんだった」

ヤスシが聡明な人だったことは前回書きましたが、どこか茫洋としたところがあり、また4人兄弟の長男ということもあって、友人たちから「アニキ、アニキ」と親しまれていたそうです。
中には年上の人間ですらアニキと呼んでいたそうで、けして馬鹿にされているわけではなく、アニキ然とした、器の大きいところがあったからでしょう。

ここでもう一度、登場人物のうちヨシミツ家の子供たちを整理します。

ヤスシの聡明さと茫洋な感じは父であるセンゾウから受け継ぎ、奇妙な達観ぶりは母であるオテイから受け継いだことになると思います。
リアリストだったオテイのもう一面である「誰にでも優しい」ところは次男のヒデジが受け継いだ。本人は「ただの人間嫌い」と自嘲していますが、優しすぎるが故に逆に他人の領域に踏み込もうとしませんでした。
長女であるヨシエはオテイが内に秘めていた気の強さを受け継いだことになるんでしょうか。
末っ子のブンゾウはオテイの人当たりの柔らかさを受け継いだといえる。

末弟のブンゾウはともかく、他の3人が共通してセンゾウから受け継いだものとして、モダニストで新し物好きである、というのがあります。
とにかく徹底して都会好きの田舎嫌い。貧乏なのに最新のモノを手に入れないと気が済まない。
一部を除いた邦画や日本の役者は完全に小馬鹿にしており、徹底した洋画党である、エトセトラエトセトラ。

これはワタシが生まれて以降の話ですが、ヤスシは仕事が終わると、小汚い作業着からパリッとした一張羅のスーツに着替え、けして高くない、しかし小洒落てセンスのいいバーに飲みに行きました。
小説も当時流行していた翻訳ミステリを愛し、布団の中でページをめくっていたのです。
またヤスシは競馬も嗜みましたが、ギャンブルにハマるというタイプではなく、まるでイギリス貴族のように競馬という競技そのものを楽しんでいました。
ヤスシにとって競馬もまたミステリ同様、推理を楽しむための娯楽だったのです。

思えば子供のワタシから見るヨシミツ家は実に奇妙でした。
1950年頃に広い家屋を手放し、元の半分くらいの敷地に、当時としてもかなりのボロ家を建て直しました。
ワタシの記憶がはっきりする1970年代になると、ボロ家は一層ボロさを増し、一階部が工場であることを差し引いても、高度経済成長以降に人が住む家屋にはとても見えなかった。

しかしそんなボロ家に配置されているのは最新の家電。電子レンジもビデオデッキ(まだVHS規格が出来る前なのでUマチック)もオーブントースターも馬鹿デカい冷蔵庫も1970年代前半の時点であったし、1970年代後半にはTK80(NEC)やTRS-80(タンディラジオシャック)といったマイコン、1980年代前半にはCDプレーヤーや衛星放送受信装置(いわゆるアナログBSですな)といった時代の最先端が次々に揃っていったのです。

えらく時代が飛んでしまいましたが、とにかく鍛冶屋という庶民的すぎるくらい庶民的な仕事をやりながら、趣向はモダンで新し物好きという、「仕事は仕事、趣向は趣向」とはっきり分けているのがヨシミツ家だともいえます。

さて次回は少し趣向を変えます。
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