~これでも仕事用です~

ヨシミツ家の人々9

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長々と書かせていただいた「ヨシミツ家の人々」、今回を含めて残り2回です。

さてと。

センゾウは口癖のように、3人の息子たちに言って聞かせた言葉がありました。

「ええか、毛利元就の『三本の矢』や。どんな時でも兄弟三人が力を合わせてやっていけ」

一見教訓めいた言葉ですが、要するに「三人で鍛冶屋を継げ」ということに他ありません。これはいわば強制といっていい。
長男のヤスシは本当は何がやりたかったのか最後まで語ることはありませんでしたが、前回書いたように聡明で知識も豊富だった。少なくとも鍛冶屋より資質を活かせる仕事はあったはずです。
次男のヒデジは勉強か好きで、特に英語の勉強が好きでした。当然英語に関係する仕事に就きたかったはずです。
三男のブンゾウは自動車好き。初代スカイラインGT-Rに乗っていたことからもそれはうかがえます。
これまた当然自動車関係の仕事に就きたかったのでしょう。

しかし、三人の意思とは関係なく、鍛冶屋を継ぐというラインは崩せませんでした。ヤスシは起業したものの、すぐに実家の鍛冶屋の仕事に引き戻されています。

わりと自由だったのが長女のヨシエ、つまりワタシの母ですが、私立の高校を出た後、阪神百貨店の紳士服売り場に勤務します。時代でいえば1960年代前半。
野球好きの方ならピンと来るかもしれませんが、当時の阪神タイガースは強豪で、1962年と1964年に2回優勝しています。
阪神百貨店の職員なら当然甲子園球場のタダ券も貰えたのでは?と母に質問してみると
「そんなもん、くれるかいな」
とにべもない返事、いやにべもないのは阪神百貨店の方か。

それでも母は阪神タイガースが好きでした。
当時は特に三宅秀史三塁手村山実投手のファンだったそうで、同じく阪神ファンのヤスシと一緒に何度も甲子園球場に足を運んだそうです。
(上の写真の詳細は不明だが、おそらく阪神の選手とファンとの交流会のようなものか。母はこんな会にも参加するくらいのファンだったようだ。前方中央左が二代目ミスタータイガースである村山実
ワタシも阪神タイガースに心を寄せていますが、これは完全に母であるヨシエやヤスシ、そして「負けると腹がたつ」と甲子園に行くことはほとんどなかったものの、やはり阪神ファンだったヒデジの影響ですね。

1967年、ヨシエは阪神百貨店を退職します。結婚のためです。
翌年ワタシが生まれ、という話は初回に書いたので割愛。
問題はヨシエを除く男三兄弟です。
センゾウは一線から退き、長男であるヤスシを中心にヒデジとブンゾウが支える、という構図でヨシミツの鍛冶屋は運営されていくことになります。
彼らの本心はともかく、センゾウの描いた通り「三本の矢」体制が実現したのです。

経営はけして楽ではありませんでした。実権を握っていたのは当然長男であるヤスシですが、聡明であるにもかかわらず商売は下手だった。完全にセンゾウの悪い部分を引き継いでしまいました。

思えばセンゾウの唱えた「三本の矢」を一番重く受け止めたのもヤスシでした。だからこそヒデジの進学が許されないとなると自分も高校を辞める、なんて言い出した。
「弟たちのために」
それは一種の十字架のようにヤスシにのし掛かってきた。こと仕事にかんしては。
しかし根っからの茫洋とした雰囲気から、おそらく誰にも十字架を背負っているなどとは思われない。
気づいていたのは後にヤスシと結婚するワタシにとっては叔母くらいで、ヒデジやブンゾウすらも気づいていなかったと思う。

叔母は存命なので仮名すら出すのを止めますが(それをいえば母=ヨシエも存命だけど)、ヨシミツ家にとって彼女の存在はあまりにも大きいものでした。
この人は長く水商売にかかわってきただけあって、ヨシミツ家の人間がもっとも苦手とする「お金の計算」が得意だった。つまり鍛冶屋に初めて経営という観点からモノを見ることが出来る人が入ってきたのです。

それを証明するかのように、叔母がヨシミツ家に入ってから商売が大きく動き出し始めました。
時代でいえば、そうですね、1981年にポートアイランドという埋立地で行われた「ポートピア'81」という博覧会から、ヨシミツ家全員が歓喜した阪神タイガース21年振りの優勝、つまり1985年の間くらいでしょうか。
三宮駅近くの、古くてボロくて小さい、いかにも家内工業から海沿いの大きな工場に移り、「鍛冶屋」から「鉄工所」といった風情になりました。
けして羽振りが良くなったわけではないけど、従業員も飛躍的に増え、社内旅行に行ったりする程度にはなった。

兎にも角にも、内部事情を含めて「まともな企業」になったと言って差し支えないでしょう。
全部が全部とは言いませんが、叔母の力が大きいはずで、センゾウの時代から「丁寧な良い仕事はするが、納期が遅れがちで商売が下手」だったヨシミツの鍛冶屋は、近代的な企業に生まれ変わったのです。

ここまでなら、ハッピーエンドです。
しかし時代がハッピーエンドを許してくれませんでした。
次回、最終回です。
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