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~これでも仕事用です~

ヨシミツ家の人々10

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最終回です。

人間には相応しい死期があるとつくづく痛感します。
オテイが亡くなったのはヤスシの妻である叔母が本格的に経営に携わり出した時期で、センゾウが亡くなったのが沿岸部への広い工場へ移転する寸前です。
彼らは、いわばヨシミツ家が昇り調子の時に亡くなった、といっていい。

ヤスシを中心とする鉄工所がおかしくなり始めたのはバブルの崩壊です。
さらに追い討ちをかけたのが、1995年に起こった阪神淡路大震災でした。
必死になって経営を支えてきた「お金の計算が出来る」叔母も、さすがにこれらのことには対応しきれませんでした。ギリギリまで、本当にギリギリまで「足掻いた」といいますが、結果、約60年続いた鍛冶屋はあっけなく倒産してしまった。

最初に「人間には相応しい死期がある」と書きましたが、センゾウとオテイがこれらのことを知らずに死んだのは、本当に、心の底からよかった、と思ってしまうのです。
少し浮世離れしたセンゾウはともかく、子供の頃から辛酸を舐め、要所でリアリストぶりを発揮しながらも、生涯誰にでも優しい人であり続けたオテイ。いや、おばあちゃん。大好きだったおばあちゃんだからこそ、亡くなる時くらいは「良い夢」を見た状態であって欲しかったと何十年後である今なら余計にそう思う。
それが叶ったわけだから、彼女の生涯はけして不幸ではなかった、と思えるのです。

さて、正直ここから後のことを書くのは苦痛です。現在進行形の話もあるので書けないこともいっぱいある。
ですから書けることを書ける範囲で書いていきます。

会社が倒産したわけですから、ヤスシとその妻である叔母にとっては、それからが地獄の日々の始まりでした。
そしてここでもまたヤスシを苦しめたのが例の十字架、そう「毛利元就の三本の矢」です。
倒産後、ヤスシの腕を見込んだかつての取引先から「ウチに来てくれないか」という誘いがあったといいます。
叔母は喜んだものの、ヤスシはこの話を蹴ります。理由は「ヒデジとブンゾウが一緒ではダメだと言われたから」です。
ここまで苦境に立ちながら、それでもヤスシはヒデジとブンゾウを守ることを第一に考えた。その結果、三人を揃って受け入れてくれる、神戸とはまったく離れた遠い土地へ転居することにしたのです。

これはヨシエ=母の意見ですが、あまりにもヤスシがアニキとして頼りになるので、ヒデジやブンゾウに独立心が育たなかったのでは、といいます。
とくにヒデジは仕事だけではなく趣味でもヤスシに右に倣えの傾向があって、映画も小説も競馬も野球も、完全にヤスシの好みに準じていました。
会社が倒産してからも「アニキが何とかしてくれる」と考えるのはむしろ自然で、それが良い悪いは別にして、センゾウが言うところの「三本の矢」の思想を、ヒデジもまた忠実に守っていただけに他ならない、とも言えると思うんです。

ヤスシが亡くなったのは2011年です。
生前、遠く離れた土地に住むヤスシ叔父さんにワタシは「一回神戸に行ってみいひん?」と何度か打診したことがあります。
東京や横浜へは何度も来てくれて、いろいろ案内出来たのですが、神戸だけは結局行こうとはしなかった。

「別に嫌とかやないんやけど、もう僕の知ってる神戸とちゃうから」

この言葉にすべてが詰まっているように感じて仕方がない。
もう一度整理します。
ヤスシが生まれた当時の神戸は戦前モダニズムの中心地といってもよい土地でした。
空襲で一度はすべて灰になりましたが、それでも神戸阪急ビルやそごう、旧居留地などの一部は焼け残った。

戦後は戦前に負けない勢いで、次々と商業施設が出来ていきました。もちろんモダニズム建築ではないものの、時代に合ったハイカラな街を形成していったのです。
それらのほとんどは阪神淡路大震災によって崩壊した。と同時に街の空気も変わってしまったことをワタシも実感しました。

60年以上続いた鍛冶屋が倒産した。それは社長でもあったヤスシにとって、あまりにも大きく、あまりにも辛い出来事だったことは疑いようもない。
しかし、何度も書いたように、ヤスシは聡明な知識人であると同時に、茫洋とした浮世離れした人でもあったわけです。

もしかしたら、もう完全に推測でしかないんだけど、会社が潰れたことよりも、心から愛した神戸の街が崩壊したことの方がショックだったのかな、とすら思ってしまう。
三宮駅近くの、松竹大船家庭劇のような家庭で育ち、自らの感覚のすべてを育ててくれた街。
ヤスシにとって、自分の会社や財産よりも、ヨシミツ家での記憶と神戸の街並みの方がよほど大切なものだった、としても何の不思議もない気がするんですよね。


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あとがき、というほどではないのですが。
こういう文章を書く時、大切なのは如何に「突き放して」書けるかだと思うのです。
思い入れが強く出すぎてしまうと気持ち悪い文章になってしまうし、あまりにも突き放しすぎると妙に醒めた文章になってしまう。
適度な距離、というのが一番難しく、ましてやワタシは文筆家でも何でもないので、その辺のバランス感覚は非常に苦労しました。

2015年現在、母であるヨシエ、そして叔父のヒデジとブンゾウ、さらにはヤスシの妻であった叔母は健在です。
しかし、当たり前ですが、彼らもあと何十年も生きられるわけではない。
だから記録としてこういった文章を書き残しておきたい、それも彼ら、とくにヨシエの記憶がはっきりしているうちに、という気持ちからこのようなものを書きました。

正直これを赤の他人が読んで面白いかどうか、見当がつきません。だけれども、少なくともワタシにとっては意味のあると行為だということだけ理解していただければ幸いです。
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