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~これでも仕事用です~

エノケン映画鑑賞記6「エノケンの近藤勇」「エノケンのどんぐり頓兵衛」

久々にエノケン映画のレビュウに行きたいと思うのですが、いや、でもねぇ、今回からのは時代劇編なんですよねぇ。
当ブログはあくまで「戦前モダニズム」までが範疇なので、いくら戦前モダニズムの旗手だったエノケンの映画だとはいえ、(モダニズムの要素が皆無ではないけど)時代劇ってのはなぁみたいなのはあるんです。

ただね、エノケン映画にかんしてウェブ上でまとめて書いてる人がほとんどいないんです。だから、若干趣旨がズレるかもしれないのを承知で書いていきます。
これだけは言っておきます。現代劇編は5本でとりあえず終わりましたが、時代劇は数が多いよ。今回のように2本3本まとめることはありますが、それでもそれなりのエントリ回数にはなりますので覚悟なさってください。


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エノケン近藤勇
むむ、なんといえばいいのか、無茶苦茶正直にいえば、観るのが苦痛レベルでした。

まず、エノケン映画でお馴染みになるエノケンひとり二役ですが、本作ではまったく機能していない。
近藤勇は幼稚な部分こそあるものの、コワモテの二枚目に近い役なので、愛嬌の部分を坂本龍馬(劇中では「りゅうま」と発音)に割り振ったんだろうし、近藤勇を主役にするなら薩長側も描かなきゃいけない、でも物語上ほとんど交わらないってのもあったんだろうけど、近藤勇はまったく魅力がないし、坂本龍馬はほとんど見せ場がなくあっさり死ぬし。

それにね、どうにもハナシが生真面目なんです。ギャグはそれなりに入ってるけど、ハナシが生真面目すぎるからギャグが浮いてしまっている。
「日本の喜劇人」(小林信彦著)で「(筆者注・丸山定夫が)沈痛な演技を見せるのが、なんともおかしい」とあるけど、個人的にはこれは逆効果で、丸山定夫の演技で芝居が締まり過ぎてるんです。締まった芝居にギャグを入れ込んでるから、どうにも変な感じがする。

無理矢理入れ込んだ感のあるギャグも例によって笑えないんだけど、これも進化形を見てるから点が辛くなる。
エノケンが考えたっていうボレロのギャグも、さらに極限まで発展させた「8時だョ!全員集合」のちょっとだけョのコントを見てるからね。
時代劇だからレビューシーンがないのはわかってたけど、二村定一との掛け合い漫唱「ララバイ・イン・ブルー」もかなり期待外れ。というか全体的に挿入歌が少なすぎる。

森岩雄によると舞台版の「近藤勇」に惚れこんで、もともとは「青春醉虎傳」ではなくこれを第1作にしたかったらしい。だから「なるべく舞台のままで」ってのがあったんだろうけど、映画にしちゃうとハナシとギャグが分離してしまう。
どうも舞台では近藤勇坂本龍馬の早変わりが笑いのタネになってたようだけど、当然このギャグは映画では使えないわけで、結果「ほとんど意味のないひとり二役」になってしまった、と。
その解消が難しいってのはわかるんだけど、80年後の視点からみれば「極めてつまらない」という評価をせざるを得ません。

あ、本筋とはあんまり関係ないけど「青春醉虎傳」「魔術師」では美人役だった北村季佐江が、本作からいきなりブサイク役に転じています。
ま、北村季佐江の顔立ちって、いっちゃナンだけど相当パンチ効いてるから。美人役の方が無理があったわけで。
さらに後の「千万長者」ではほとんど狂女だもんねぇ。まだブサイク役のがマシなんかも。


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エノケンのどんぐり頓兵衛
正式タイトルは「エノケン十八番 どんぐり頓兵衛」なんだけどね。
こちらもエノケンがひとり二役をやっていますが「近藤勇」と違ってこっちは必然性がある。
これも歌が少ないんだけど、単純でわかりやすいハナシなので逆に観てられるというか。
ただ、ね、これも原作は舞台劇なのですが、舞台をほぼそのまま映画にしちゃダメなんじゃないかと考え込んでしまいました。

これは根本的な特性の違いなんです。
舞台ってのは、観客とキャストが同一空間にいるわけで、所詮は作り物であることを観客は否応なしに了解させられた上で成り立っています。
つまり物語のリアリティーを出すのが非常に難しいし、特に時代劇モノは失敗すれば大人のお遊戯会になる危険性まで孕んでいる。

その代わり観客側の「作り物であることの了解具合」が強いから、わりと何でも作劇として成立してしまいます。
はい人を斬りました、はい死にました、とやっても、あ、斬られた、あ、死んだ、で済んでしまう。本当は生きてるのは見りゃわかるんだから、そこに余計な詮索が入り込む隙はありません。
ところが映画は違う。もちろんフィクションの場合は作り物なんだけど、少なくとも舞台に比べたら作り物感が弱い。感情移入できるだけのリアリティーは映画の方が持ちやすい。

話を「どんぐり頓兵衛」に戻しますが、たぶんね、やれ親殺しだ、やれ仇討ちだといわれても、舞台なら別段引っかかりはないと思うんですよ。でも映画でやられると変わってくる。親殺しも仇討ちも、物凄い重たい十字架に感じてしまう。
まだね、もっとノーテンキな喜劇の空気感で押し通してくれればいいんだけど、「近藤勇」ほどじゃないにしろ、生真面目なムードが出てしまっている。
だからエノケンが暢気そうに「♪ 惚れた男が親殺しぃ〜」なんて歌ってると、そんな歌歌ってる場合じゃないだろ、自分の立場を考えろや、と思ってしまう。

ま、実際はもちろんそこまで物語に入り込んでないのですが、舞台に比べたら(当然舞台を観たわけないけど)空気感が重くなって当たり前なんですね。(ちなみに筒井康隆の指摘によると、ストーリー後半は「研辰の討たれ」を元ネタにしているらしい。だからか、ハナシが重くなるのもだし、たしかに頓兵衛のキャラも途中で変わっている)

近藤勇」も生真面目な作りに見えるのは、舞台が原作ってのも大きいのかもね。
そう考えると、以前取り上げた現代劇はどれも映画オリジナルなので無理がない。もしかして観ててしんどいのは、時代劇か現代劇かじゃなくて舞台が原作ってことなんかねぇ。

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