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~これでも仕事用です~

写真は雄弁に語る

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告知です。スマホなどのモバイルでご覧の方は変更はないのですが、PCから当サイトをご覧の方は、サイドカラムにカテゴリー毎の最新記事を表示させました。

「Goodlucklight!」は「Gumi-chan1961」の公式ブログではありますが、内容的には「特化したジャンルが複数ある」ブログでもありました。
「ロンドンのことは興味があるけど、戦前モダニズムは興味がない」といった方のために、全カテゴリーからの最新記事ではなく、ロンドンならロンドン、戦前モダニズムなら戦前モダニズム、の最新記事(5件分)を表示させるようにしました。
これからも「Goodlucklight!」をよろしくお願いいたします。

さて、本題へ入ります。
ワタシどもの作品「Gumi-chan1961」はその名の通り、1961年の世界を舞台にしております。
正直、魂は細部に宿る、という言葉はあまり信用してないんだけど、それでも中途半端なことをしてね、余計な詮索をされたり、あからさまな間違いが気になって作品に集中できない、なんて事態を避けるために、1961年、そしてその前後の頃のことは相当入念に調べたりしました。

当時の映画、写真、雑誌、その他データなど、ありとあらゆるものを精査しながら詳細な舞台背景を決めていったわけです。
しかし、1961年といえば、ワタシはまだ生まれていない。つまりいくら調べようとも絶対に実感は得られない。実感が得られないというのは、要するに空気感が掴みづらいのです。

「ハレ」と「ケ」なんて言葉があります。
たとえば当時の映画などは所詮フィクションなので、ハレかどうかはともかく、少なくともケではありません。しかしケがわからなければ、日常の空気感なんかわかるわけがない。
ではケがわかる資料はといえば、実際これがほとんどないんですよ。

話は変わるようですが、今はみんなスマホを持っています。スマホを持ってない人だって大抵はカメラ付きケータイくらいは持ってたりする。
ワタシはね、これって凄い革命だと思ってるんです。
たぶんケータイにカメラ機能が付いて以降、ハレじゃない、ケを写した写真が飛躍的に増えたはずなんです。常に持ち歩いているし、ま、これはデジカメ全般にいえることですが、現像代もかからないから遠慮なく、どうでもいい日常を気兼ねなく撮ることが出来るようになったんだからね。
当然それらは、もちろん全部ではないにしろ、後世にも残っていくことでしょう。
つまり未来の人から見れば、二十一世紀になってからの人々のケ=空気感は容易に掴めるはずです。

ところが昔、1961年の頃はそうじゃない。ケの写真なんかほとんどない。カメラさえ持ってない人は、それこそいっぱいいた、というか、持ってない方が当たり前だったといっていい。
だから変な風に神話化されてる部分もあるんでしょうね。すべては推測ですが、ないんだから結局は推測するしかないわけで。

さて、一昨年の末、「張り込み日記」という本が発売され、どこの本屋でもスペースが割かれて陳列されていたので、かなり話題になったんだと思います。
正直この本には度肝を抜かされました。
写真集といえば写真集といってもいいんだけど、ワタシの解釈では、これはドキュメントフォトブックです。

たしかに写真がメイン、というか、文章は巻末などわずかしかない。判型も写真集のそれです。
しかしページをめくってる時の感覚が写真集とはあきらかに違う。非常に上質のドキュメンタリー映画を観てるような、いやいや、それも違うな。映画じゃない。
ほぼ写真だけの構成であるにもかかわらず、文章が見えてくる。写真一枚一枚が雄弁に語ってくれるからです。

事実と時系列を入れ替えることによって、ドキュメンタリーであるのに、フィクションとしての要素も内包してある。しかし数々の写真はまぎれもない「現実」でしかない。
こんな本は空前絶後で、もしかしたらワタシが知らないだけかもしれないけど、カッコいいでも凄いでもない、とにかく物語を読んでるが如く面白い、写真だけの本なんて他には知りません。

簡単に説明しておきます。
この本は1958年に起こった「茨城県下バラバラ殺人事件」の捜査の様子を渡部雄吉が撮った写真で構成されています。
実際に起こった事件です。だからホンモノの捜査本部の様子が、おそらく偽りのない状態で収められている。
捜査本部の刑事は、事件解決のため聞き込み、そして張り込みを開始するのですが、もちろんこれらの様子も残っているんだけど、これが感動的なまでに凄い。
何故なら聞き込みの様子が「ケ」そのものなんです。

むろん刑事が聞き込みにきてる状況だから、完璧にケかといえば、違うかもしれない。あと当然カメラマンも同行してるわけだし。
しかし絶対にこれはハレではない。少なくとも刑事が来る直前まではケ以外の何物でもなかったはずで、もしかしたら「心の準備」がない分、他所の家からカメラを借りてきて、日常(ケ)を撮影しよう、としたスナップよりもケに近いかもしれないわけで。

何よりこの本に収められた数々の写真には時代の空気感が濃厚にある。それはワタシどもが追い求めて止まなかったものであり、たしかに「Gumi-chan1961」とは3年のズレはある。しかし当時の、もう文献では絶対わからなかったこと、もの、そして空気感が、この本に封じ込められているのです。
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