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~これでも仕事用です~

世界で一番面白い教科書

戦前モダニズム
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以前「マイナス・ゼロ」という、滅多やたらに面白い小説を取り上げたことがあります。
今回取り上げる「エロス」も「マイナス・ゼロ」同様、広瀬正の作なのですが。
(あらためて念押ししておくけど、広瀬「隆」じゃないからね)

それにしてもこの題名はどうなんでしょ。もう散々いろんなところで指摘されているように、「エロス」なんてタイトルの本を電車の中で読めるわけがないでしょーが。
ワタシだってね、題名だけで判断するなら、買わないし読まない。いや、エロはけして嫌いではないけどね。
だから何で手に取ったかといえば、もう広瀬正の小説だから。それしか理由はありません。

「マイナス・ゼロ」にかんしては「何となく戦前モダニズムに興味はあるけど、どこから手をつけていいのかわからない人に最適」と書いた記憶があります。
ではこの「エロス」は、というと、ある意味「戦前モダニズムフリーク」のための小説です。
本の最後に参考文献が載っていますが、とにかく数がハンパじゃない。その数何と39!ノンフィクションならそれくらいの参考文献を挙げることはあるけど、これはフィクションだからね。
それだけ膨大な資料を基に、小難しいノンフィクションではなく、完全なるエンターテインメントの世界に仕立てあげる。これこそ広瀬正の真骨頂でしょう。

広瀬正の小説ってね、何だかまるで「石ころ絵」みたいなんです。
よく複雑な構成の話を「パズルのような」みたいに形容しますが、パズルってのは最初からコマは揃ってて、あとは並べるだけです。
でも「マイナス・ゼロ」にしろ「エロス」にしろ、ガッチリと「こういう構成にする」ってのがあって、それにピッタリ当てはまるピースを時間をかけて探しだしてる感じがする。
サイズも形も色も、これしかないっていう石ころを必死になって見つけてきて絵として完成させる。もちろん石を削ったり、着色したりは極力しない、みたいな。
加工してないから、数字は数字として読めるわけです。

そもそも「エロス」はどんな小説か。
まず、エロ要素は皆無です。これだけは最初に書いておかなきゃいけない。
広瀬正はSF作家として名を上げた人ですが、これは、やはり、SFではないと思うんですね。SF的要素は皆無ではないけど、劇中でもメタフィクションのように触れられている通り、ホワットイフ、日本語でいえば「架空平行世界」モノ、といえばいいのかね。

「もし、あの時、あの出来事が起こらなければ」というIFの世界を、現在と本物の過去、そしてIFの過去を行ったりきたりしながら物語を紡いでいっている。そしてあっと驚くオチまで持っていっている。
しかし、それらはあくまでエンターテインメントの範疇で収まったもので、無理矢理SF扱いする必要はないんじゃないかと。
(オチを割りたくないんで詳しくは書かないけど、オチから逆算すれば全然違った解釈が出来てしまうんだけどさ)

完全なるエンターテインメントであるにもかかわらず、この小説はかなり人を選びます。
「マイナス・ゼロ」は、物凄く複雑な構成ですが、それでも誰にでも薦められる面白さがある。
でも「エロス」はちょっと違う。「マイナス・ゼロ」に比べたら圧倒的に単純な構成だけど(いろいろ「仕掛け」が施されているけど、読んでる最中に頭がこんがらがることはない)、誰にでも薦められる小説かといえば、違うと思うんです。

「エロス」は現代(小説の書かれた1970年頃)と、過去(1933年から1940年)が舞台ですが、当然過去の比重が大きい。
1933年から1940年といえば、本ブログでワタシがしつこく書いている戦前モダニズムの時代であり、もし戦前モダニズムの世界に一切興味がなければ、おそらく途中で挫折すると思う。
それくらい、まるで教科書の如く、馬鹿丁寧に、しつこいくらいに戦前の状況描写がしてあるのです。

例えばタバコの値段だったり、市電(のちの都電)のことだっり、ちょっと小説の枠内でやるにはやりすぎくらいに詳しく書いてある。
「マイナス・ゼロ」はね、同じく戦前の世界も舞台となるんだけど、描写は意外とあっさりしてるんですよ。
でも「エロス」は違う。このしつこい描写に辟易してしまう可能性もあるんじゃないかと。

しかし、これが戦前モダニズムフリークにしてみれば、この手の描写がメチャクチャ面白い。
現実を一切動かさず、現実の中にフィクションが混入してあるので、ノンフィクション的にすら読むことが出来る。

しかも自らものちにジャズメンになる広瀬正ですから、当時の音楽業界、つまり当時の芸能界のことですね、も相当丹念に描写してある。
もちろんエノケンのこと(というか「ちゃっきり金太」のこと)も、ロッパのことも、タアキイのことも出てくるし。
他には紙恭輔(戦前の伝説的なジャズメン)なんかセリフまであるし、主人公がテレビジョンの開発者って設定だから、どんなイベントで公開実験が行われていたのか、とか、実験放送でどんな番組を作ったのかまでわかる。

ストーリーはもちろん面白いし、戦前モダニズムの描写も「これでもか!」と言わんばかりに詳細に書いてある。
だから誰にでも薦められる小説じゃないけど、戦前モダニズムに一定の興味がある人なら是非読んでほしい、そんな小説です。

それにしても、題名といい、作者の「SF作家」という肩書きといい、夭逝したというプロフィールといい、専門用語がやたらと登場する内容といい(戦前モダニズムだけじゃなしに、弱電、つまりオーディオ機器やテレビジョン開発のパーツ名がバンバン出てくる)、あとコジツケだけど広瀬「正」って名前も含めてね、なんだか、いろんな意味でハードルが高いな、この作品は。

本当は、戦前戦中を舞台の話にもかかわらずイデオロギー的なことはほとんど入ってないし、何度も書くように、完全なるエンターテインメントなんだけどね。
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