~これでも仕事用です~

シャボン玉ホリデーこそ系譜

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「Gumi-chan1961」の舞台である1961年といえば、伝説的バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」が始まった年でもあります。

伝説化したのは、とにかくVTRが残ってないからです。
残されたVTRは渡辺プロダクションの社長だった渡辺晋や、クレージーキャッツハナ肇が個人的に所有していたキネコ(VTRをフィルムに焼いたもの)であり、それ以外はないとされています。(噂レベルでは、シャボン玉ホリデーの某作家がさらに数本のキネコを所有している、と聞いたことがありますが、あくまで「噂」です)

1961年6月、日本テレビ系列にて(系列といってもまだほとんどネットワークは確立されていませんが)「シャボン玉ホリデー」が開始されます。
ワタシは昔、この時代のテレビ番組についてかなり調べたので、「シャボン玉ホリデー」に関してウンチクを語ろうと思えばいくらでも語れる。たとえば最初「ピーナッツ・ホリデー」として企画された、みたいな初歩的なものから、書籍やネットのどこにも書いてないようなことまで、ね。

ま、そういうのは読んでる人も書いてる方もつまらないので止めておきますが、詳しく知りたいという方は、ぜひ「シャボン玉ホリデー スターダストを、もう一度」という本をご覧になってください。20年ほど前の本なので絶版ですが、古本ならネットで検索すればわりと簡単に買えるはずです。

この本で白眉なのは巻末の放送リストで、空白こそあるもののタイトルやゲスト、担当スタッフが記されています。(余談ですが、本が出版されてから20年の間にさらに空白が埋められたリストを見せてもらったことがあります)

このリストを見るだけで、青島幸男が作家として参加したのがこの日で、離脱したのがこの頃だったんだ、なんてことがわかるし、ドリフターズもゲストで出たことがあるんだ、なんてのもわかる。ま、当時渡辺プロダクション所属のドリフターズ渡辺プロダクションのユニット番組だった「シャボン玉ホリデー」に出るのは普通なんだけどね。

ワタシは本ブログで戦前モダニズムのことを書いています。
今のところ日本に限定して書いているのですが、もう少し広げて海外のことも書かなきゃな、と。でないと何故戦前にレビュウの舞台が花開いたかわかんないなとね。
日本のレビュウの源流はふたつあって、ひとつはパリのレビュウショウ、もうひとつはフレッド・アステアのレビュウ映画です。
とくに戦前の日本人を、いや世界中の人々を熱狂させたのが、数々のフレッド・アステアのレビュウ映画で、後世にも多大な影響を残しました。
(アステアのことを書きだすと長くなるので、また今度まとめて)

翻って我が日本はというと、以前書いた通り、戦後は宝塚歌劇など一部を除いて日本におけるレビュウ文化は萎んでしまいました。たしかに積極的にというかムーヴメントになるほど舞台でも映画でもレビュウが作られた形跡はありません。

が、1953年から始まった新興産業であるテレビジョンは戦前のレビュウ文化を引き継ぐ存在になっていきます。
とくに日本テレビはウエスタンバンドで活躍していた井原髙忠がいたため音楽に強い局として、数々のバラエティー番組を作っていったのです。
(ちょっと信じられないけど、当時の日本テレビ音楽班の主要ディレクターは、ほぼ全員楽譜を読めたってんだから凄い。カット割りも小節を元にやってんだから。そりゃ音楽的なクオリティは高いわな)

一応念のために書いておきますが、バラエティー番組とは昨今のものとはまったく異なり、音楽とギャグがサンドイッチ状になった番組のことで、これは当然舞台のバラエティーショウから来ています。
音楽があればダンスがある。映像を見せるテレビなんだからこれも当然で、井原髙忠は「音楽」「ダンス」「笑い」を一体にしたモダンな「光子の窓」などを手がけることになります。

井原髙忠の番組のチーフADだった秋元近史は渡辺プロダクションと組んで、後に「シャボン玉ホリデー」と題される番組にとりかかります。
秋元近史は、モダンすぎてハイブロゥになりがちだった井原髙忠の路線に若干大衆味を加えて、モダンさは保ちながらも、より親しみやすい番組作りをしていきました。(などと見てきたかのように書いてるけど、当然ワタシの年齢ではリアルタイムでは見られるわけがない)

シャボン玉ホリデー」は全体の構成も、井原髙忠番組よりさらにわかりやすく、レビュウとコントのサンドイッチ状で、コントは主にクレージーキャッツが、レビュウはザ・ピーナッツが中心になってやっています。(もちろんコントにもピーナッツが、レビュウにもクレージーが出てきますが)

レビュウにおいては、振り付けは小井戸秀宅、音楽は宮川泰という超強力な布陣を揃えて、どこに出しても恥ずかしくない国産レビュウを創造していきました。小井戸秀宅と宮川泰はふたりがかりで、少し歌が上手い程度だった名古屋出身の双子(いうまでもなくザ・ピーナッツ)を超一流のレビュータレントにまで育て上げたんだからすごい。むろんピーナッツ自身に才能があったからこそ、ですが。

これはもう系譜、といっていいと思うのです。
戦前のレビュウ文化は、間に井原髙忠の「光子の窓」などを挟みつつ、「シャボン玉ホリデー」の中で生き続けた。が、何度も書くけど、これらの仕事が如何に偉大なものだったか、自覚があったかどうかはともかく、いろんな事情でまったくVTRが残ってないってのはもったいなさすぎる話なのです。

しかし、まあ、「シャボン玉ホリデー」について書きながら、一切「お呼びでない」も「おとっつぁん、お粥が出来たわよ」も「ヤスダー!!」も書かないってのも型破りというか、まあ今更ながらワタシという人間は偏ってるな、と思ったりするわけでね、ええ。