~これでも仕事用です~

1936年の交通

f:id:gumiyoshinobu:20160129153949j:image

戦前の交通網について書こうと思うのですが、これは正直苦手なジャンルでして、ワタシは鉄道のことも自動車のことも、詳しいとはいえません。
それでも戦前の人々がどのような交通手段を取っていたか、をわかっていただくことは意味があると思うので。

まず1936年の時点では、地下鉄は東京にはただ一路線、今の銀座線しかありませんでした。それも浅草から新橋までで、渋谷まで開通するのは1939年のことです。(東京高速鉄道によって運営されていた渋谷ー虎ノ門間は1938年に開通している)
今の山の手線は1925年に全線開通しており、また私鉄も主要な鉄道会社は1936年の時点でほぼ出揃っている。

しかし、当時の主要な公共交通機関は地下鉄でもなければ省線(現在のJRの通称。鉄道省が管轄していたのでこう呼ばれていたらしい)でもない。
いうまでもなく市電、今でいうところの路面電車です。
これは東京に限らず、比較的小規模の都市まで張り巡らされており、まさに市民の足として活躍していました。
(ただし広瀬正の小説「エロス」を読むと、1934年の時点で省線や私鉄、そして地下鉄に押され、市電がかなり苦境に立たされていた、という記述があります)

今でもお年寄りに話を聞くと「電車道」なんて単語が出てくる。当時の都心部では広めの道路には路面電車が走っていた、と決めつけるのは乱暴ですが、まァ当たらずも遠からず、ですかね。
ただし相当遅かったらしく、停留所が多いので当然ですが、スピード自体もかなりゆっくりだったそうです。
東京市電は東京市が東京都となって都電になり、戦後、1960年代以降に次々廃止になりましたが、今でも唯一都電荒川線だけが残っています。

もうひとつは自動車です。
中には「え!?戦前に自動車なんかあったの?」なんて人も、さすがにそれはいないか。でも自動車の数は想像よりずっと多い。
こっちはもしかしたら驚かれる人がいるかもしれないけど、当時走っていた自動車はほぼ外国産(フォードやシボレー)です。理由は単純で、まだ日産やトヨタといった国産メーカーの生産能力が低く、必然的に価格も外車より高かったからです。
街中を走っていたのは大半がタクシーやハイヤー、もしくは公用車だけど、自家用車を持ってた人も一握りでしょうが皆無ではありません。これもガソリンが買えない時代に突入して、ほとんど姿を消すことになるのですがね。

さて、今一度、どうしても見たい映像があります。
大阪の朝日放送でかつて「映像タイムトラベル」という番組が放送されていました。(Wikipediaによると1992年から2002年まで放送されていたらしい)
京阪神間を中心とした昔のドキュメンタリー映像を流すのですが、余計なタレントなど一切出てこず、ひたすら当時の映像を「ほぼそのまま流す(ごく一部に限りテロップを追加)」という画期的な、悪くいえば手を抜いた番組でした。

放送リストを見る限り、どうも1992年に放送されたらしいけど、1937年に日産自動車が制作したPR映画があってね。何が凄いといっても全編カラー映像なのですよ。
いうまでもありませんが、戦前の時点ではほとんどカラー映画は作られておらず(「千人針」や一部ドキュメンタリーなどわずか)、戦後も1951年になって作られた「カルメン故郷へ帰る」が初の長編カラー映画だと言われてきました。だからこのPR映画が如何に貴重なものかお判りいただけると思います。

このフィルムから抜粋した映像がのちにNHKのドキュメンタリー番組で使われ、それは(あんまりいうべきじゃないかもしれないけど)YouTubeで見ることができます。
しかし本当はもっと長かったはずで、何しろビデオを撮ってないで記憶でしかないのですが、文字が流れる電光掲示板なんかが映っていて驚愕した記憶があります。そう、この時代にすでにそんなもんがあったんです。

正直、このPR映画にかんしてはもっと書きたいんだけど趣旨から外れるのでこの辺で。名残惜しいけど。
とにかくYouTubeで見られる抜粋映像でもわかるのですが、このPR映画から、一般家庭にも自家用車を売っていこうというのは十分読み取れる。だからもし戦争がなかったら、自家用車の普及はもう少し早かったかもしれません。

1936年制作の「エノケンの千万長者」の續篇のオープニングで出てくる銀座周辺の映像を観ていただければわかりますが、もちろん渋滞を引き起こすほどじゃないけど、結構な台数の自動車が走っています。(上記画像はすべて「千万長者」からの抜粋)
しかしこれらの自動車は、先述の通りほぼ自家用以外であると考えて間違いない。
ガソリンの販売が厳しくなる1939年頃になると、古川緑波などは自動車を購入して、普段はタクシーとして街を走らせ、必要な時だけ呼びよせて使う、いわば半自家用車という巧妙な方法を考えつき実行に移しますが、これもタクシーすら使えない時代になってダメになります。

しかし1936年の時点ではそうじゃない。普通にタクシーが行き交い、一部のブルジョアは自家用車を乗り回し、自動車会社は一般層にまで販路を広げようとしていた。
また日本で最初の自動車レース場が開場したのも1936年です。つまりこの頃は自動車は自家用車以外の形で一般層にまで下りてきていたことを示しているはずです。

ワタシなど、市電も山の手線も自動車もあったとなると、意外にこの時代にタイムスリップしても交通手段に関しては何とかなるな、と思ってしまいます。
むろん新幹線もないし(東京から下関までを貫く予定だった幻の弾丸列車でさえまだ計画前)、飛行機なんか一般人は乗れるわけないから、もし海外へ行くとなると船ってことになる。欧米ともなると数週間はかかるわけで、今と同じなわけがない。

それでもそこまでは不便じゃないような気がする。少なくとも現代の「ド」が付く田舎に住むよりははるかに便利なような、ね。
広告を非表示にする