~これでも仕事用です~

陸の龍宮

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今回のテーマは、戦前モダニズムといっても「芸能」の範疇に入れられるのかもしれないけど、ま、あくまで「建築物」ということにして話を進めます。

さて、戦前モダニズムを語る上で、たったひとつだけ後悔があるとするなら「陸の龍宮」という惹句(コピー)で知られた日本劇場、つまり日劇に一度も足を踏み入れたことがないことです。
日劇の閉鎖が1981年ということですから、1968年生まれのワタシは十分可能性があった。もっとも兵庫県神戸市生まれってことを考慮すれば、ま、無理ってことになるんだけど。

さて神戸出身のワタシの実家は阪急沿線にあります。
阪急といえば、何といっても小林一三になるわけで、小林一三が手がけた事業は、幼少時代から今の今まで影響を受けまくったモノがいくつもあります。
東宝映画も、宝塚ファミリーランドも、阪急ブレーブスも、阪急百貨店も、んでもちろん阪急電車も、これらは小林一三という人抜きには考えられません。ってなことは以前詳しめに書きました。

日劇はもともと小林一三が作ったものではなく、丸の内アミューズメントセンターの構想があった小林一三が買い取っただけなんだけど、それでも東宝関係の檜舞台は、戦前戦後通じて日劇であり続けました。
ややハイブロウな帝劇(帝国劇場)、戦前は主にロッパ一座を中心としたモダンな喜劇を上演し、戦後は映画館に転じた有楽座、そして宝塚歌劇の東京での根拠地である東京宝塚劇場といった小林一三自らが手がけた劇場を抑えて、所詮買い取っただけの日劇こそが東宝のシンボルだったのです。

東京の人ならよくご存知でしょうが、日劇跡はマリオンという複合商業施設になっており、一応映画館も入ってるとはいえ、往時の面影は何もないといって差し支えありません。
それでもです。有楽町の駅を降りて銀座方面に進むとなるとマリオンを通り抜けるより他ないのですが、ワタシはマリオンを通り抜けるたびに「ああ、本当はここに日劇があったんだな」と感慨にふけるのです。本当は、もクソもないけど。

一度、日劇に実際に足を踏み入れたことがある方の話を聞かせてもらったことがあります。
といっても戦後のことですが、その方はザ・ピーナッツのファンで、ワタシよりずっと年長の方です。
その人の話によると、中に入ると意外と小さく感じた、とのことで、たしかに面積はさほど大きくはない。でも構造は独特で、ヨーロッパにあるオペラの劇場のような、すり鉢というより円筒に近い形をしています。

ステージ自体もね、そりゃ有楽座なんかよりは大きかったんだろうけど(現存する写真を見る限り、有楽座は下北沢の小劇場くらいの規模に見える)、浅草にあった国際劇場のような馬鹿デカいものではなく、しかも本来映画館としての使用を想定して作られたので奥行きがなかったそうです。それは日劇でのショウを撮影した「歌う若大将」を見てもわかります。

それでも檜舞台感がハンパじゃない。
実際ここで、エノケンもロッパも、戦後になってからだけど笠置シズ子クレージーキャッツやピーナッツも、この舞台を踏んだ、と思うだけで胸が熱くなるのです。
何とか残すことが出来なかったのかな。いやそりゃね、老朽化の問題は避けられないから建て替え自体はやむを得ないかもしれないけど、元の日劇を復元って方向はなかったのかしらん、と。
ま、時代的に無理だわな。何しろ超一等地だし、なにより1981年っていえばバブルへ突き進んでいく直前だしね。あんないい場所を「単なる劇場」だけにするのは、ま、もったいないってなって当然ですわな。

その点、帝劇も東京宝塚劇場もちょっと外れた場所なんだよね。だから建て替えで済んだってのはあると思う。
日劇が檜舞台だったのは立地面もあったはずで、もう本当に有楽町駅と銀座駅(当時の名称は西銀座駅)の目の前だもん。
でも本当に惜しい。もし現存していれば、世界のどこに出しても恥ずかしくない伝統ある大劇場だったのに、ね。
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