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~これでも仕事用です~

原節子の座り心地の悪さ

戦前モダニズム
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本ブログは戦前モダニズムが守備範囲なのですが、今まで触れてなかった大物もかなりいます。
たとえば今回取り上げる原節子。どうしても戦後に小津安二郎と組んだ一連の作品のイメージが強い彼女ですが、活躍度からすれば、「戦前」に限定しても実は文句なし、なんですね。
それでも触れてこなかったのは、やはり「モダニズム」の部分で引っかかったからなんですが。

昨年、原節子が逝去されました。いや、逝去したというよりも逝去していたと発表された、といった方がしっくり来ます。
引退後、一切表舞台に出てこなかった原節子は「鎌倉の自宅で隠居生活をおくっている」ことしか公になっておらず、実際生きておられるのかどうかですら推測でしかなかった。
それでも逝去が発表されてからはマスコミも大々的に取り上げ、いくつか追悼本も発売されました。

マスコミの取り上げ方のパターンは決まっていました。というか大体の想像はついていた。
小津安二郎映画の主演者」としての原節子、です。
原節子は戦前戦中は日活→東宝所属だったので、松竹の監督だった小津安二郎との接点はない。それが戦後になって小津映画に出るようになったのは、東宝争議の余波で事実上フリーになったからです。
その後原節子は再び東宝専属に収まりますが、東宝から松竹に「貸し出す」という形で小津映画の出演を続けました。

これは「心底原節子に(ひとりの女性として)惚れていた」そして「ぜひ小津安二郎東宝で一本撮ってもらいたい」という思惑を持っていた東宝のプロデューサー・藤本真澄(さねずみ)の意向だと言われていますが、それが結実したのが小津安二郎最後から二本目の作品になる「小早川家の秋」です。

小津安二郎がライバル会社である東宝の大プロデューサーも惚れ込むほど、独自の世界を築いてきたことは、何の否定もしません。そして今もなお、とくに「東京物語」はヨーロッパで高い評価を得ているというのも納得しています。
それでも原節子という女優が小津安二郎作品の中で「のみ」語られている現実は、やはり戦前モダニズムを愛するワタシからすれば、違和感が拭えない。
何故なら、「東宝女優」としての原節子なくして「小津映画」の原節子もないと思うからなんですね。

原節子はもともと女優志望というわけではありませんでした。それが成り行きに近い形でデビューし、日独合作の大作「新しき土」に主演したこともあって、瞬く間に人気女優のひとりに数えられるようになります。
ところがエノケン映画をはじめとする音楽喜劇や、特撮を使ったスペクタクル物を得意とした戦前戦中の東宝では原節子の使い所がない。これは小林信彦の示唆通りで、いわゆる女性映画を撮れる監督が東宝にはいなかった。

戦後、女性映画の名手といわれることになる成瀬巳喜男も松竹からP.C.L.→東宝への移籍組で「妻よ薔薇のやうに」なども手がけています。
しかし何でも撮らなきゃいけなかった当時の東宝では喜劇映画も主要な仕事であり、少なくとも原節子を活かせる映画は撮っていない。

では女性映画を得意とした松竹なら原節子は活かされたのか、ですが、正直大いに疑問なんですよ。
というのも、はっきりいって原節子の顔立ちはかなり特殊なんです。
美人は美人なんだけど、なんだか現実離れした顔で、否が応でも目立ってしまう。もし戦前の松竹で原節子が女性映画に出ても浮いてしまった可能性が高いと思うんです。
小津安二郎の映画に出るようになった頃の原節子は、いわば「枯れた美人」であり、ミスマッチはミスマッチなんだけど、ミスマッチぶりが作品に溶け込む程度になっていたわけでね。

戦後、原節子が演じたのは、行き遅れの女性や未亡人など、もっぱら「不幸を背負いながら、必死で不幸を隠そうとする」役どころです。
小津安二郎作品に限らず、上原謙と共演した成瀬巳喜男監督の「めし」でも、原節子を薄幸の女性として使うことで成功している。
逆に普通の奥さん、お母さんのような役は、どうしても浮いてしまう。「ノンちゃん雲に乗る」は作品のテイストがファンタジックなので成功した方ですが、本当に原節子に合った役かというと疑問です。

ここまで読んでくださればおわかりになってもらえると思いますが、原節子の演じた役は「どうも、違う」「もっと他にピッタリの女優がいたのではないか」と思わされるものばかりなんです。
戦中期の「望楼の決死隊」(今井正監督)、戦後すぐの「わが青春に悔なし」(黒澤明監督)や「青い山脈」(今井正監督)は、「現実離れした」美人の原節子を「強いリーダーシップを発揮する女性」(=現実ではほとんどあり得ない)に仕立てようとしたアイデアは買う。しかしこれらとて、完全に上手くいったかというと、なんだか、どうにもしっくり来てないわけで。

「何をやってもハマらない」原節子を「ハマらないことを前提として」自身の映画の主演に起用した、その一点において小津安二郎は本当に大したものだと思う。
主演者が少し浮いてるくらいの方が作品が平板にならなくて済む、というね、それは間違いなく小津安二郎、そして原節子の功績でしょう。
それでも、それが出来たのは原節子が老けたからです。若い、美しい盛りの原節子だったら、小津安二郎とてこんな起用は出来なかったと思う。

たしかに「女優」として原節子を活かしたのは小津安二郎です。しかし小津安二郎が活かしたのは、美人女優・原節子、ではなく「枯れた」美人女優・原節子です。いわば再利用といえなくもない。
原節子というひとりの人間、それも美しさを味わいたければ晩年の仕事となる小津安二郎作品はオススメできない。
いくら作品に恵まれなくても、いくら原節子が活かされてなくても、やはり戦前戦中の東宝映画での原節子には及ばない、と思うわけです。
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