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~これでも仕事用です~

ハイキック!イヴォンヌ!!

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これまで、タアキイや笠置シズ子といった、全盛期の映像が残ってないがために、今となっては真価がよくわからない人について書いてきました。
しかし戦前期に活躍した「真価がよくわからない」人は他にもいっぱいいる。とくにダンサー関係は、もうさっぱりレベルなのですね。

たとえば益田隆なんかだと「エノケン孫悟空」で、短い出演シーンとはいえ「動き」は確認できるのですが、他は意外と映画に出てなかったりするし。
あとは中川三郎。この人は戦後も活躍しましたが、戦前はタップダンサーとして目覚ましい活動をしていた人です。が、映像がほとんどない。
唯一「舗道の囁き」という映画に出演しているみたいだけど、どうもタイミングが悪くていまだに未見です。
そういえば、中川三郎にかんしてはちょっと確認が取れてないんだけど、今では信じられないことだけど「タップダンスの音を収録したレコード」なんかも出てたみたいでね。んなもんタップの音だけじゃ何もわかんないよ。

戦前のダンス界でもうひとり大物といえば、何といっても川畑文子を置いて他にないでしょう。
川畑文子はほぼ1930年代にしか活動しておらず、にもかかわらず現代においては益田隆や中川三郎に劣らない知名度はあるんじゃないかな。
というのもこの人、結構な数のレコードを吹き込んでいるんですね。しかも近年も彼女のCDが数枚単位で発売された。だから極めて活動期間が短いわりに有名なんじゃないかと。もちろん非常に限られた範囲の中で有名なだけですが。

川畑文子のプロフィールは例の如くWikipediaを参照してもらうとして、参照していただけない場合でも、彼女を語る上で絶対外せないポイントがあります。
それは彼女が「帰国子女」であった、ということです。
いや、見た目も日本人だし、名前も日本人だけど、今でいうところの「日本に出稼ぎにきた外タレ」と何ら変わらない。
彼女は日本に来る前の時点で、まだ少女だったにもかかわらず、ダンサーとしてアメリカでそこそこ名前が売れたスタァであり、日本語もほとんど喋れなかった。つまり完全に外タレです。

そんな川畑文子が日本に帰国することになり、それを聞きつけたレコード会社が契約にこぎつけ日本でレコードデビューすることになったわけです。

もう一度おさらいします。彼女がアメリカで認められたのは「ダンサー」としてであり、「歌手」としてではなかった。しかも彼女は日本語が苦手ときている。
結果どうなったか。先述した通り、今現在、川畑文子のCDは容易に入手できるので聴けばわかるのですが、正直かなり辛い。リズム感云々以前に、メロディーすら取れていない。発声も問題外です。
瀬川昌久氏などは彼女の歌について好意的に評していますが、やはり、ワタシからすれば「しんどい」としかいえないわけで。(ただし伴奏にかんしては聴くべきものがあるので、レコードとして価値がないわけではない)
でもしょうがないよ。何たって彼女はダンサーなんだから。歌わせる方が悪い。

ダンサーだった川畑文子を歌で評価しても意味がないわけで、となると動きが知りたい。舞台はどだい無理なんだから、映画には出てなかったのか、となるのですが。
川畑文子は日活と契約し、数本の映画に出演しています。
とくに「うら街の交響楽」は彼女のカラーを活かした音楽喜劇といわれており、主題歌は「あなたとならば(「I'm Following You」)」。もちろん川畑文子が歌ったそうです。
「いわれており」とか「歌ったそうです」とか、あいまいな書き方しか出来ないのは、ワタシはこの映画を観たことがないからで、いや、フィルムが現存していないんだから今後もおそらく観ることは不可能です。

しかし可能性はわずかでもある。
タアキイや笠置シズ子はそもそもほとんど映画に出てないんだからどうしようもないけど、川畑文子は出てることは出てる。今後フィルムが発見されないとも限らない。となったら彼女の得意技だったといわれるハイキックも、写真じゃなくて映像で観れる可能性もある。
それにしても、つくづく惜しかったのが、東宝と契約して東京宝塚劇場への出演の話がありながら、結局彼女のスケジュールの都合でダメになったことです。
東宝に入ってれば、おそらく映画にも登用されただろうし、フィルムが現存していただろうに。
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