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準エノケン映画鑑賞記3「虎の尾を踏む男達」

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たぶんこれまで取り上げた映画の中でダントツに知名度があるのがこの「虎の尾を踏む男達」でしょう。唯一DVDにもBlu-rayにもなってるし、観た人も多いはずです。
というのも、何つったって監督が黒澤明です。しかも黒澤明唯一といっていい音楽喜劇的要素が強い作品です。完全に、ではなく、あくまで「的要素が強い」止まりですが、同系統の黒澤作品は皆無なのでいきおい目立つわけで。

さて「虎の尾を踏む男達」の前に「どっこいこの槍(企画時のタイトルは「豪傑読本」。台本の表紙は「どっこい!この槍」となっている)」の話から始めなければなりません。
桶狭間の戦いの日の朝がラストシーンになるこの企画は「虎の尾を踏む男達」同様、黒澤明監督、大河内傳次郎エノケンのダブル主演で1945年の公開予定、しかも柳田貞一、中村是好、如月寛多といったエノケン一座の主力組の出演も予定されており、一層「準エノケン映画」の色合いが濃いものになる予定でした。
(また黒澤明の談話から推測するに、構想段階ではエノケン単独主演だった可能性が高い)

シナリオやチラシも完成し、大河内傳次郎に至っては髷合わせまで済ませており(写真が現存している)、あとは制作を待つばかりでしたが、戦局がそれを許しませんでした。
桶狭間の戦いが主題なのですから当然大量の馬が必要で、でももはや馬を調達できる情勢ではなかったのです。この苦い経験から後年黒澤明は馬を自費で購入するに至るのですが、それはまた別の話。

結果「どっこいこの槍」はペンディングされ、大河内傳次郎エノケン主演はそのままに黒澤明が出した企画がこの「虎の尾を踏む男達」なのです。
能の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」をベースに、弁慶に大河内傳次郎、強力にエノケンを配置したこの企画が通ったのは「カネがかからない」ことに尽きます。
手元にほぼ唯一のセットといえる関所の設計図がありますが(美術・久保一雄)、セットといっていいのか迷うほど簡素なもので、道中は東宝スタジオの裏手の山で済ます、といった徹底したコストダウンが図られています。

撮影開始は終戦の直前。ポツダム宣言受諾後一時撮影は中止されますが、同時期に撮影されていた山本嘉次郎監督の「アメリカようそろ」(未完)と違い国策に沿ったものではなかったことで撮影は続行され、途中GHQも見学に訪れる中、1945年9月に完成します。

ところが実際に上映されたのは7年後の1952年。経緯は諸説ありますが、兎にも角にも完全版が陽の目を見ることができただけでも大きい。
もしもうちょっと戦争が続いたとして無理矢理公開されていたら、カット版しか残ってなかった可能性もあるんだからね。

さて「準エノケン映画鑑賞記」として書くんだから、黒澤映画としての視点は極力省きます。
それでも徹底した様式美にこだわった作りには、やはり感心せざるを得ない。
様式美を役者側から支えているのはもっぱら大河内傳次郎ですが、邦楽を一部オーケストラを用いて洋楽風アレンジにしてあるところもね、能や歌舞伎の様式美そのままではなく、まして様式美の破壊でもなく、映画ならではの新しい様式美を構築しようという気概が見える。

ところが様式美から唯一はみ出た存在がエノケンなのです。
この映画に登場するエノケンはまったく「いつも通り=エノケン映画」のエノケンで、様式美といういわば堅苦しい世界を一気に大衆のものへと下ろしてきてくれているのです。そして結果的に型にハマった大河内傳次郎まで可笑しく見えるという良い副作用まで生まれています。
もともと「強力(アヤメじゃないよ。山道での荷物運び役のことです)」なんて原作にはない役です。だから黒澤明も徹底的に自由にやらせることができた。そしてそれは作品と観客の橋渡しをエノケンに託した、ともいえると思うのです。

現代より抵抗感が少ないこの当時とはいえ、あまりにも様式美が強いとどうしても敷居が高くなってしまいます。
かといって様式美を弱めることは黒澤明の本意じゃない。
常々黒澤明は「能は好きだが歌舞伎はあまり好きではない」と公言していたといいます。
それは後年の映画(たとえば「乱」)を観てもわかるのですが、歌舞伎よりさらに様式美の要素が強い能をやろうと思えば一層観客との間に距離が出来る可能性があるわけで。

以前「実はエノケンは型を大事にする人」と書きました。
「虎の尾を踏む男達」でも、クロージングで見せる有名な飛び六方も(この映画のためではないけど)わざわざ川尻清潭から習った本格的なものです。
劇中ではパロディ化するために崩してあるんだけど、型をちゃんと理解しつつ、観客との適度な距離を測りながら崩すことができる、それが可能な貴重な役者がエノケンだったわけです。

山本嘉次郎門下で、数々のエノケン映画で助監督についた黒澤明が、そうしたエノケンの能力を知らないわけがない。
だから大河内傳次郎エノケンのダブル主演映画を作ることになり、しかも当初予定していた企画がダメになった時点でね、「勧進帳」から物語を作るけど、エノケンにはどの役もやらせない、とにかく自由にやらせる、とした黒澤明はまことに慧眼だった、としかいえません。

ただひとつ気になるのが、この映画のエノケンってやたら老けてるんですよ。こんなシワの多い顔だったっけ?って思うくらい。
これがこの映画が公開された1952年ならわかる。この当時なら他の映画を観てもエノケンの老け具合はこんなもんです。
でも作られたのは1945年。戦後だって時代劇はわかりづらいし、役柄上メーキャップの濃い「四つの恋の物語」(1947年)でもわからないけど、少なくとも「新馬鹿時代」(1947年)を観る限り、ここまで老けていない。まだ微妙にあどけなさは残っている。
でもこの映画のエノケンって、見ようによってはお爺さんみたいなんだよね。これまた黒澤明の計算なのか?うーん。
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