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~これでも仕事用です~

戦後モダニズム2〜東宝の動き〜

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今回は東宝の動きを追います。

戦後すぐに吹き荒れた東宝争議の影響で、とくに映画部門は骨抜きになってしまった東宝ですが、徐々にスタッフ、役者が復帰して、量産体制に入ります。
ただし元の、つまり戦前の東宝に戻ったわけではない。
戦前期のスターはエノケンロッパをはじめ軒並み人気が凋落しており、彼らに頼った映画作りは不可能でした。代わりに三船敏郎などのニュースターが台頭しており、またサラリーマン喜劇という新機軸も商売になってきた。

しかし緩やかにですが、かつての東宝カラーの復活にも挑戦しはじめるのです。
まずは特撮スペクタクルの復活で、これは1954年に製作された「ゴジラ」から、ですが、本ブログの趣旨から外れるので割愛します。
もうひとつの武器であった音楽喜劇は、美空ひばり江利チエミ雪村いずみの三人娘主演映画で先鞭をつけましたが、彼女たちの個性の問題か、どちらかというと土着的な作風の「歌謡映画」になってしまった。

三人娘映画を東宝らしいモダンな作風に化粧直ししたのが、団令子、重山規子、中島そのみによる「お姐ちゃんトリオ」主演映画で、1959年の「大学のお姐ちゃん」を皮切りに計8本のシリーズが作られました。
1959年といえば戦後復興が完全に終わり、再び人々に「夢のあるファンタジィ」な作風が受け入れられる時代になった頃です。
もちろんオードリー・ヘプバーンフレッド・アステア主演のモダンでカラフルな音楽喜劇「パリの恋人」(1957年。まったく話が逸れるけど、この邦題はいただけない。どう考えても「ファニーフェイス」で良かったと思う)がヒットしたことも無縁ではないでしょうが。

しかしお姐ちゃんトリオ主演映画は所詮アイドル映画なので、本数を重ねる毎にくたびれていく。そこで「お姐ちゃんシリーズ」はお姐ちゃんトリオにもうひとり主演者をたてたコラボレーション映画になっていきます。
シリーズ第7作の「ベビーギャングとお姐ちゃん」はまだ子役だった、のちの中村勘三郎主演「アッちゃんのベビーギャング」とのコラボレーション作品で、皮肉にも「子役時代の中村勘三郎が主演」というのが効いて、シリーズで唯一DVD化されています。

1962年、続いてのコラボレーションは「スーダラ節」が大ヒットし、「スーダラ男」と呼ばれていたクレージーキャッツ植木等を迎え「ニッポン無責任時代」が製作されます。
「スーダラ男」の愛称はすぐに「無責任男」に変わります。映画が大ヒットしたからです。

「ニッポン無責任時代」はいわばお姐ちゃんトリオから植木等へ主演者をバトンタッチするための作品で、植木等という「歌えるモダンなコメディアン」を得たことにより、ついにエノケン映画以来のモダンな音楽喜劇が復活するのです。
面白いのは、主人公のキャラクターが、見た目は戦前モダニズムのスマートさで、中身は戦後のバイタリティー溢れる、といった風に、戦前と戦後のハイブリッドなんですね。だから受け入れられたんだと思う。

さて、これは舞台の話ですが、東宝伝統といってもいい「音楽喜劇」の復活はかなり早い段階で試みられており、特に喜劇人オールスター勢揃いといった感じで作られた「東宝ミュージカルス」や、さらに喜劇ではないものの「マイフェアレディ」をはじめとする、いわゆる赤毛ミュージカルも上演しています。
植木等が主演した一連の作品は、たしかに音楽の要素を押し出した喜劇ですが、ミュージカルと歌謡映画の中間のような作風で純粋シネミュージカルとは違います。(個人的意見ですか、歌でストーリーを紡がない作品はミュージカルとは呼びたくない)

おそらく東宝内部にも本格シネミュージカルを渇望する声があったのでしょう。
それが結実したのが、須川栄三監督の「君も出世ができる」で、フランキー堺高島忠夫雪村いずみの3人が主演格、さらに益田喜頓有島一郎のベテランに加えて、特別出演として植木等まで出てくる。

映画の出来不出来はともかく(個人的にはあまり感心しない)、超大作、しかも東宝カラーの集大成ともいうべき本作が興行面でコケたのは、いろんな意味でダメージが大きすぎた。
これ以降、東宝は二度と本格的シネミュージカルを作ろうとはしなかった。興行的に安定していた植木等映画は続いていましたが、この時点で東宝の音楽喜劇路線終焉のカウントダウンが始まったといっていい。
つまり植木等映画の動員が落ちて、シリーズが終わった時点で、新たな音楽喜劇映画を作ることはない、と確定したんだから。

ま、それでもね、戦前モダニズムの尻尾は1960年代まで残すことが出来た。それだけでも、まァ、よくもったな、と思えるのですが。
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