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~これでも仕事用です~

やっぱり東宝!

1960年代 Gumi-chan1961関連
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我々の作品「Gumi-chan1961」を人に説明する時、いわばNGワードのようなものがあります。
それは「懐かしい」とか「人情味」とか、普通1961年、昭和でいえば36年を舞台にした作品には常套句といってもいい言葉です。
そもそもタイトルからして「昭和36年」ではなく「1961年」からきてるし。

このブログの最初の方にも書かせていただいたので重複になりますが、もう1961年が懐かしいということ自体に無理があるんですね。
この時代が懐かしいと思えるのは、1961年時点で最低でも小学校に入っているはずで、2016年現在では還暦を超えられた方ということになります。
しかしグミちゃんのデザインを見ていただければわかるように、とてもじゃないけど高齢者向けの作品ではない。
つまり「懐かしい」という要素は、あまりプラスにはならないんです。

では「Gumi-chan1961」という作品に何を込めて作っているかですが、ひと言でいえば「エネルギー」です。
高度経済成長初期独特の、頑張れば頑張るほど幸せになれた時代。もっと下衆な言い方をするなら、働けば働くほどカネになった時代。
そんなエネルギッシュな時代をポップな人形で表現することこそGumi-chan1961の特徴だと思っているわけなんですがね。

しかし普通はそうは考えません。昭和30年代を舞台にした作品を作るとなると、無難に懐かしさを前面に出そうとする。
ワタシがかかわるまでの、カズミ・アカオが単独で作っていた頃のグミちゃんは、まさしくそういった空気感の作品でした。
映画でいえば、松竹大船が得意とした人情味溢れる家庭喜劇の世界。カズミ・アカオはそういう作品はあまり好きではないはずなのに、自分が作ると、どうもそうなってしまっていたんです。

それをワタシが強引に変えた。それはワタシが大の東宝ファンだから、ということに他ありません。
東宝映画のキャッチフレーズである「明るく楽しい東宝映画」は実は前身のP.C.L.時代からのもので、健全でモダンな共通した世界観は、小林一三の趣向が強く入っているはずです。
それは戦後になってからも(つまり東宝争議のような大事件を乗り越えた後も)何ら変わることはなく、邦画が完全な斜陽産業になり自社製作事業を極端に縮小した1970年代はじめまで確固たる「東宝カラー」は守られました。

東宝作品はどれも都会的ムードに覆われており、仮に田舎が舞台の作品でも、どことなく都会の匂いがする。
それは同じく東宝配給ながら東京映画(東映と混同しやすいですが、東映とはまったくの別会社で東宝の傍系会社)製作の作品と東宝本体で作られた作品を見比べればよくわかります。

同じ森繁久彌主演ながら、東宝本体製作の「社長」シリーズと、東京映画製作の「駅前」シリーズはムードがまったく違う。
「駅前」シリーズは良くも悪くも都会っぽさのカケラもなく、逆に「社長」シリーズは地方ロケのシーンでも都会っぽい。
(余談ですが、もうひとつの傍系である宝塚映画は東宝と東京映画の中間の作風ですね)

とくに加山雄三主演の「若大将」シリーズと、植木等主演の「無責任」「日本一」両シリーズは、デタラメ寸前の設定を音楽と笑いで塗り染めた、東宝が得意とした都会派モダニズム喜劇の集大成になっています。

ワタシはこの東宝カラーを何とかグミちゃんの世界に取り入れたかった。
作品を見た方々が「しみじみ」するのではなく、元気になれる作品。よーし、明日も頑張るぞ!と思えるような作品。
ただしこれはとてつもなく難しいことです。
作品を見て元気になれるというのは、いわばエンターテイメントとして成立しているわけです。それはそれで素晴らしい。
しかし同時にアートになっていなければ作品としての価値を見出してもらいづらい。
もしかしたら、相反することをひとつの作品に押し込めている、といえるのかもしれません。

しかし東宝が標榜した「明るく楽しい」も極限までもっていけば、エンターテイメントの枠を逸脱してアートに近づく。
1920〜30年代に作られた、あまりの明るさが狂気の域まで達した一連のドイツ映画などは、もはやエンターテイメントとは言いづらい。
東宝映画でも「日本一のホラ吹き男」などは、皆無に近いストーリーに、ただひたすら明るくポジティブなキャラクターで押し通す植木等も狂的な存在にすらなっています。

「Gumi-chan1961」って明るくて楽しい作品だよね、でも明るすぎてどこか狂っているよね、そう言われたい。
それは松竹大船喜劇や「三丁目の夕日」とは真逆の世界観だと思っているわけで。
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