~これでも仕事用です~

何故その人気を映画に利用しないのか

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エノケン映画についてはさんざっぱら書いてますが、まァ、数が多い。いくら粗製濫造時代といえど、よくここまで作ったもんだと呆れます。(もちろん褒め言葉です)
ただ、戦前モダニズムを俯瞰で見ると、エノケンは、というかエノケン映画はわりと例外の存在だったことがわかるのです。

1930年代前半、松竹は二大モダニズム・スタァを抱えていました。いうまでもなくエノケンとタアキイなのですが、舞台で爆発的な人気があったエノケンの要望にもかかわらず、松竹はエノケン主演の音楽喜劇の製作を蹴ります。これに業を煮やしたエノケンがP.C.L.で音楽喜劇を撮り始めるのですが、もうひとりのスタァであるタアキイも映画で活かそうとした形跡は見られない。せいぜい「男性対女性」のショウシーンで松竹歌劇を映したくらいです。(上記画像は「男性対女性」のワンシーン)

人気という面ではやや遅れを取った、大阪松竹歌劇→松竹樂劇団所属の笠置シズ子も、戦前の段階では主役はつとめていません。(脇役での出演は確認できるけど、何しろフィルムが残ってないのでどういう、どの程度の役だったかもよくわからない)

その点P.C.L.→東宝エノケンを引っ張ってきただけあって、まだ「舞台での人気俳優主演映画」の製作に意欲的でした。古川緑波も数はエノケンには及ばないとはいえ、かなりの数の主演映画を作っていますし、吉本興業と提携してエンタツアチャコ柳家金語楼主演の映画もずいぶん作っています。

それでも宝塚歌劇の人気を映画でも活かそうとした形跡はうかがえないんです。
余談ですが、宝塚歌劇のイメージソングとも言える「すみれの花咲く頃」を元に、「すみれ娘」(白井鐵造作)という宝塚歌劇の公演が行われたことがあります。
これを潤色して映画化したのが山本嘉次郎監督による「すみれ娘」(1935年)なのですが、宝塚歌劇団員は出演しておらず、堤眞佐子とリキー宮川主演のシネオペレッタになっています。(この映画、結構幻の映画なのですが、最近観賞することが出来たので、そのうち詳しく書きます)

ワタシは以前も書いたように、舞台をそのまま映画にすることは反対なのです。でもP.C.L.→東宝の名プロデューサーであった森岩雄の残された言葉を信じるなら、なるべく舞台そのままで映画にしたかったと見受けられる。
「地方の人間は舞台が見られない。だから舞台そのままの方がいい」ってのは一理あります。

宝塚歌劇にしろ松竹歌劇にしろ、当時のレビュウはあからさまにパリのレビュウを参考にしており、当然パリが舞台のものが多い。だからそのまま映画にしようと思ったら海外ロケをしなきゃいけないわけで、ま、いうまでもないけど、当時の日本でそれは無理というものです。
だから別に舞台そのままじゃなくてもね、舞台の人気を映画に持ってくるってのはやっても良かったはずで、それこそ森岩雄がいうように、映画であれば地方の人間にも届くわけで。

実際エノケン映画は作品の出来にかかわらず、他の大作映画をなぎ倒すほど興業成績が良かったといいます。
それはもちろんエノケンの功績もあるんでしょうが、それよりどうしても辛気臭い内容に偏りがちの日本映画界で、華やかで明るい映画を観客側も望んでいたってのもあると思うのです。
それでも東宝も松竹も、少女歌劇に関してだけは重い腰を上げなかった。まァ、映画に出すより舞台をやらせていた方が儲かるっていうソロバン勘定は間違いなくあったんだろうけど。

この時代にはほとんど意識されてなかったろうし、今もあんまり意識されてないんだろうけど、映画ってのは「芸を残す」って意味もあるんです。
チャップリンの芸や笑いが今もって評価されているのは、彼が作り上げた数々の映画が残っているからで、もしチャップリンが映画に進出せずにずっと舞台芸人だったら、もしくは何らかの事情でフィルムが消失していたら、当然今のような評価はあり得ません。

チャップリンほど容易く観られないとはいえエノケンも評価(好評悪評にかかわらず)が可能なのは、それなりの数の映画が現存しているからです。
ところが戦前の宝塚歌劇や松竹歌劇はそれが出来ない。唯一残されているのはレコードだけで、正直レコードで芸を想像するのは、いくら逞しい想像力を持ってしても無理です。

森岩雄に限らず当時のプロデューサー連も、別に「後世に評価されるため」に映画を作っていたわけじゃないのはわかっているけど、当時の舞台を実際に観た人がいなくなる中、彼女たちの芸が藻屑と消えゆくのは、どうにもやりきれないわけで、ええ。

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