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~これでも仕事用です~

エノケン映画鑑賞記15「エノケンのざんぎり金太」

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久々にエノケン映画のレビューを書きます。

正直この映画を時代劇とみるか現代劇とみるか、かなり迷いました。
というのも作品の舞台となったのは時代でいえば明治の前半、そう文明開化の時代です。
たしかに時代劇ではないものの、エノケン扮する金太が出没する飲み屋周辺の街並みは完全に江戸時代のそれであり、しかし洋風のモダンな建物が周りにある(=制作当時に近しい街並み=現代劇)、みたいな設定になっています。
いわば現代劇と時代劇のハイブリッドなので、「孫悟空」同様別枠として扱います。

もともとこの作品のタイトルは「續・ちゃっきり金太」が予定されており、文明開化を迎えて幕となった「ちゃっきり金太」の続編です。(タイトルが「ざんぎり」に変更になったのは当局のクレームのせいらしい。この辺のことはエノケン自身の愚痴が残されているけど、掘り下げてもあんまり面白くないので割愛)

「ちゃっきり金太」のラストシーンで使われた、オペラ「マルタ」の劇中歌「農民たちの合唱」(明治時代によく行進曲として使われていたらしい)がキーミュージックとなり、くしゃみのギャグや「知らねぇな」「知らねぇな」という掛け合いも継承されるなど、続編であることが強く示されています。
ただし配役や細かな設定はその限りではなく、主人公の金太=エノケン、それを追う岡っ引き改メ私立探偵の倉吉中村是好はそのままですが、それ以外の登場人物はリセットされており、柳田貞一が似たような役で出てくるくらいです。

さて、ワタシはずっと不思議に思っていたことがあります。
あれほどエノケンとコンビで音楽喜劇を撮ってきた山本嘉次郎が、ある時期を境にエノケンと距離を置いているのです。
具体的には「孫悟空」以降で、これより後は戦後作品を含めても「巷に雨が降る如く」、「快男児」、「四つの恋の物語」、「新馬鹿時代」、「動物園物語より『象』」のみ。しかも音楽喜劇どころか純粋な喜劇と呼べるものはこの中に一本もないのです。
(「新馬鹿時代」はタイトルは喜劇風だけど、内容は限りなく社会風刺劇に近い)
ところがこの「ざんぎり金太」を観るに及んで、ワタシの疑問は氷解したのです。

一度整理します。
「ざんぎり金太」は
・時代劇と現代劇のハイブリッドである
・名作と誉れ高い「ちゃっきり金太」の続編である
そして
舞台となった明治に流行していた書生節を中心に挿入歌が非常に多く、あ、あれはあのシーンへのオマージュだな、とわかるシーンがこれまた多い。
つまりこれは、単に「ちゃっきり金太」の続編というだけではなく、エノケンヤマカジコンビによる音楽喜劇の総決算なんです。

初っ端から「ちゃっきり金太」のパロディで押し通しており、「ちゃっきり金太」同様のぞきからくりで始まる。
ただし人物紹介の絵が「ちゃっきり金太」の浮世絵風から漫画風にチェンジされています。
さらに「ちゃっきり金太」では芝居小屋での「あゝそれなのに」でスリの名人金太登場となるところが、「ざんぎり金太」では鹿鳴館風の洋風建築での舞踏会に変わるなど、ここらへんのセルフパロディは「ちゃっきり金太」を憶えている方ならニヤっとできる作りになっているのです。

他にも「ちゃっきり金太」の現存版では欠落している芝居小屋のシークエンスも「ざんぎり金太」にあったりするので、「ちゃっきり金太」の欠落部を想像できるところまで楽しい。(当たり前だけど狙ったわけじゃない。どこが欠落するか以前に、そもそも欠落が生じることすら予測できるわけないんだから)

それだけじゃない。「千万長者」を彷彿とさせる富豪ネタがあったり(しかも令嬢役は「千万長者」同様北村季佐江!)、クライマックスの乱闘は完全に「青春醉虎傳」のそれです。エノケンが洋服姿で暴れるから、二作品のシーンを混ぜてもわからないと思う。

・・・てな作品に仕上がったのは、山本嘉次郎が完全に東宝のエース監督になった証だと思うんです。
日活の脚本部で燻っていた山本嘉次郎はエノケンの口添えもあってP.C.L.に呼ばれた。そしてエノケンの希望通りエノケン主演の音楽喜劇の監督になるわけですが、新興会社で監督が少なかったP.C.L.→東宝は音楽喜劇だけ撮っていればいい会社ではなかった。

「坊ちゃん」のような文芸作品から「綴方教室」のような、それまでの日本映画では見られなかったジャンルの作品まで任されることになる。
しかし山本嘉次郎の凄いところは、それら多ジャンルの作品を次々「名作」の呼び声高いレベルに仕上げたのです。
己の脚本家としての資質の高さはもちろん、黒澤明をはじめとした助監督にも恵まれ(と書くと語弊があるけど、黒澤明他は「カジさん」の人柄に惹かれて志願して山本組についた)、日本を代表する監督のひとりに数えられるまでになったのです。

もう、1940年ごろになると、山本嘉次郎はエノケン映画の監督という枠を大きく超える存在になっていた。
それもあってか、「ニュースカメラマンシリーズ」と題された二作品以降、山本嘉次郎はエノケン映画のメイン監督から外れ、J.O.スタヂオ出身の中川信夫エノケン映画のメイン監督になっていきました。
しかしこれでエノケン映画はお終い、となるのはエノケン、山本嘉次郎ともに望んでいたこととは思えない。
ならば最後に、今までの総決算的な作品を撮って「ひと区切りつけよう」となったのではないでしょうか。

最後、という覚悟があったからかどうか、山本嘉次郎にしては珍しくやりたい放題なのです。
とくにクライマックスは完璧に西部劇になっているのが凄い。時代劇、現代劇だけでは飽き足らず西部劇まで!

乱闘シーンも「青春醉虎傳」のはオチも何もなく、なんとなく終わったけど(ま、贔屓目で見れば「ボルガの舟歌」がオチってことになるけど)、これは違う。
それまで散々振ってきた「農民たちの合唱」を使った天丼ギャグをやらかすなど(ネタは割りませんが、まさかこのシーンであのギャグは出来まいと思わせておいて、とんでもない飛び道具を持ち出してくるのは素直にやられたと思いましたよ)、良くも悪くも上品で抑制の効いたヤマカジ作品にしては珍しい弾けっぷりを見せてくれます。

サゲも「え?まさかそのふたりが?」みたいな意外なご両人が「くっつく」など、最後の最後まで楽しめる。というか最後の最後までやり切った、というべきか。
「やり切った」はずのエノケンヤマカジコンビでしたが、結局同年制作の「孫悟空」で復活するのですが、以前も書いたようにこれはエノケン映画として作られたわけではなく、東宝オールスタァ映画の主役がエノケンだっただけ、といってもいい。

「ざんぎり金太」は「ちゃっきり金太」に比べて知名度も低いし、どうしても二番煎じと受け取られてもしょうがないのですが、内容を観るとそんなことはとても言えない。
わずか82分(現存版は76分)の中に山本嘉次郎のエノケン愛がすべて詰まっているといっても過言ではない。
笑えるわけじゃないけど、観ててこんな気持ちのいい作品もないと思うわけで。

きっとこの映画を観終わったら、あなたもこの歌詞(これ、浅草オペラ時代のエノケンのネタらしい)を口ずさんでいることでしょう。

♪ 爺さん酒飲んで酔っ払って死んじゃった〜

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