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~これでも仕事用です~

戦前のミニチュアとジオラマ

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当ブログは「ミニチュア、ジオラマ」「戦前モダニズム」も範疇にしておるのですが、では戦前にミニチュアやジオラマがあったのか、みたいな話をしたいと思います。

まずミニチュアですが、あるのは確実にあった。これは間違いありません。
ただしそれが民芸品の域なのか、趣味の域なのかの判別が難しい。もちろん趣味でミニチュア小物を「集める」人はいたと思います。が、今のようにミニチュア小物を「作る」人がどれほどいたのかというと、資料がまったくないのですね。

たとえば、以前取り上げた、小学男子向けの雑誌に同梱されていた付録としてのペーパークラフト、これは作る人がいっぱいいたはずです。そりゃ雑誌を買えば付いてくるんだから作らにゃ損です。
また、これも以前書きましたが、木製模型(プラスチック製ではないから、いわゆる「プラモデル」ではない)も、今より圧倒的に嗜む人口は少なかったでしょうが、小コミュニティを形成できるくらいには存在していました。ま、これは飛行機か船に限定されますが。

これらも実物のスケールダウン版と考えるなら、まァ、ミニチュアといえなくもないのですが、生活雑貨の類い、家具やフードを趣味でハンドメイドする、なんて人はほぼいなかったんじゃないかと考えて間違いないと思うのです。

ただし「趣味」としては、です。仕事でなら、それこそ民芸品や、民芸品と呼ぶのもおこがましいレベルのミニチュアが、観光地の土産物屋で売られていました。
ところがそれすらも、具体的にどのようなものがあったかわからない。

こういう場合、下手に文献を探るよりも、当時の映画を観る方が手っ取り早い。
1934年に公開された「エノケンの青春醉虎傳」という映画のワンシーン、エノケンとヒロインの千葉早智子がお見合いをして、新婚家庭を持つところがあるのですが、歌とミニチュアを使って(いわば抽象的に)表現されています。

それがこれら。

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和風のものは、もしかしたら民芸品店から取り寄せたのかもしれませんが、テーブルとチェアといった洋風のものは、この映画のために作られたのではないかと推測しています。
映画会社の美術スタッフ(当時は大抵「装置」とクレジットされている)といえば、どうしても大掛かりなもの専門みたいなイメージですが、ミニチュアサイズのものも作るわけで、彼らの手によって作られたはずです。

さてジオラマです。
以前「特撮博物館」というイベントについて触れましたが、特撮なんてミニチュアの塊で、当然これらも美術スタッフによって作られています。
戦前戦中期に作られた最大スケールの映画が「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)で、監督に山本嘉次郎、そして特技監督円谷英二、と前々年の「エノケンの孫悟空」のコンビが再びタッグを組んで作られました。

特撮にかんしてはかなり甘い作りの「孫悟空」からわずか2年後であるにもかかわらず、戦後この映画を観たGHQが、真珠湾のジオラマを実景と勘違いした、という逸話が残されているくらい精密な出来でした。

「水柱が本物に見えるサイズからジオラマのスケールを決めた」というようなことを後に円谷英二は語っていますが、 1/400スケールで作られた真珠湾全景のジオラマは、超がつく大規模なもので、この経験が戦後の「ゴジラ」などの東宝特撮映画に活かされることになるのです。

特撮用に作られたジオラマは、通常は撮影後に解体されます。部分的に残しておくことはありますが、ジオラマ全体を残すことは、まずない。(倉庫の隅っこにほっぽってあったりはしたんだろうけど)
当然ジオラマを映画を通した以外、つまり生で観る機会など、皆無のはずです。
だからこそ撮影済みのジオラマや小物をまんま展示した「特撮博物館」が突出したイベントになったのですが。

ところがところが、何と映画の公開を記念して、「ハワイ・マレー沖海戦」のジオラマが一般公開されていたのです。
超大スケールのジオラマです。普通の施設では無理。大きすぎて収まりきりません。
どこで展示したかというと、何と野球場!

ここでやや専門的な話をします。
東京ドームの前身「後楽園球場」は、一時期東宝の傘下でした。「ハワイ・マレー沖海戦」も東宝製作。だからなのでしょう。シーズンオフを利用して、自前の球場である後楽園球場に真珠湾の大ジオラマを再現してしまったのです。

具体的には1942年12月5日より10日間。「ハワイ・マレー沖海戦」の封切りが12月3日ですから、わずか2日後にこの「大東亞戰争一周年記念『映畫報国米英擊滅展』」(←何という題!)が始まったということになります。
鮮明とはとても言い難い写真ですが、是非ご覧ください。

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何だこれは、ですよね。ほぼグラウンドを埋め尽くしている。単一のジオラマでこれだけ大スケールのものが展示されたのは、おそらく空前絶後でしょう。
もちろん「戦意高揚のため、当局からの指示」だった可能性も否めませんが、それでも今の時代でも絶対不可能なことをなし遂げた当時のスタッフに心から敬意を表したいと思います。

二十一世紀の今はCG全盛期です。そうはいっても特撮用のジオラマが作られないわけではないのですが、製作費まで考慮すれば、どうしてもCGへのウエイトが高くなってしまう。それはしょうがない。

だから別に「CGなんかに頼らない、完全アナログの特撮映画を作れ」と言ってるわけではない。
ただ、もう、このイベントをナマで観られた人が羨ましくてしかたないだけなのです。

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