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~これでも仕事用です~

エノケン映画鑑賞記17「エノケンのびっくり人生」

エノケン映画鑑賞記

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うーん、これは書くかどうか、かなり迷いました。
というのも、タイトルこそ違えど事実上、この「びっくり人生」(1938年12月29日公開)が前編、翌週に公開された「エノケンのがっちり時代」(1939年1月4日公開)が後編になっているんです。
(つか「ニュースカメラマンシリーズ」なんて副題付けるくらいなら、それぞれ「エノケンのニュースカメラマン 前篇「びっくり人生の巻」」、「後篇「がっちり時代の巻」」のタイトルで良かったと思う)

ところがワタシは後編にあたる「がっちり時代」を観ていない。つまりストーリーの半ばまでしか観てない段階で、何らかの寸評を書いていいものやら、と。
しかしそれでも書きたかった。たとえ「がっちり時代」が後回しになったとしても。

それは「びっくり人生」「がっちり時代」合わせた「ニュースカメラマンシリーズ」は、エノケンヤマカジコンビの、現代劇でのモダニズム喜劇の最終作だからです。
以前書いた「エノケンのざんぎり金太」は明治時代が舞台なので、完全な現代劇ではないので、ね)

巻頭、いきなり日劇ダンシングチームによるラインダンスで始まるという完璧なモダニズム喜劇で、ラインダンサーをバックにエノケンが「Yes Sir, That's My Baby」を歌うという、これまた素晴らしいモダニズムぶり。
「Yes Sir, That's My Baby」は日本ではヘレン隅田が「可愛い眼」のタイトルでレコードを出してますが、何だってこの曲なんだ?と思ったら答えは簡単、エディ・カンターもカバーしているからでした。
以前指摘した通り、エノケンはあくまで和製カンターだからね。それ!とばかりに後に続いたのでしょう。

しかし内容は、あまりにも尻切れトンボで終わっているラスト(何度もいうように前編扱いだからしょうがないんだけど)を差し引いても、別段面白いものではない。
ちょっと面白いのは映画監督役の柳田貞一くらいで(後年幾多作られた監督コントの原型のような演技なのが可笑しい)、あとは全体的に冴えない。
特に問題なのが、この作品に限ってはエノケン演じる主人公の与太っぷりが魅力にならず、逆にイライラさせます。
この辺は山本嘉次郎の計算違いですね。

それでも点数が上がるのは、何たってこの映画の舞台が撮影所だからです。
堂々と「東宝映画東京撮影所」の看板が映り、当時の映画界でもっとも先進的と言われた東宝映画の裏側を見せてくれるのです。
そこで映画の内容からは大きく話がズレるのですが、東宝の通称・砧スタジオについて書いていきます。

戦前、この「びっくり人生」が公開された頃は、東宝はもっとも新しい映画会社で、スタジオも最新鋭の設備が揃っていました。
設備だけでなく先進的で民主的な社風で、実際社風や設備に惹かれて東宝に移籍した映画人もいたほどです。

ちょうどこの頃、松竹から東宝に移籍した中に高峰秀子がいました。
彼女の場合は引き抜きだから「東宝の設備と社風に惹かれて」の移籍ではないんだけど、当時の実に近代的なスタジオの様子を書き残しています。

『陰気くさい倉庫のようなステージか並ぶ松竹撮影所とはまるで違い、建物全部が白一色で統一され、所内のセンターにある噴水を囲んだ芝生は、映画人たちの休憩時の雑談の場になっていた。芝生の前にはガラス張りの明るい食堂があり、メニューも豊富で、そんじょそこらの洋食店より、はるかにおいしく(後略)』(高峰秀子著「わたしの渡世日記」より)

また社内の人間関係というかシステムについても

東宝には、幹部、準幹部といった俳優のランクがまったくなく、先輩も後輩もゴチャマゼになって、八つの俳優部屋に十数人ずつが入っていた。(中略)「先生」という呼び名はいっさいなく、全員が「ママ(筆者注・=英百合子)」「節ちゃん(=原節子)」「千葉ちゃん(=千葉早智子)」と愛称で呼ばれていた』(同上書より)

「びっくり人生」の劇中でも、真っ白な壁が特徴的な、大変モダンなスタジオの外観が活写されており、しかしモダニズム劇だけでなく時代劇も普通に撮影されていたわけで、モダンなスタジオと時代劇の扮装の役者が行き交うというギャップが何ともいえず可笑しい。

中でも劇中、エノケンが何とか忍び込もうとするサウンドスタジオ。最新鋭の設備を揃えるだけあって、トーキーや音楽映画で確実に音が拾える専用スタジオを設けていたことがわかるのも興味深い。

さらに終盤、音楽シーンの撮影風景も出てくるのですが、歌手役の二村定一と江戸川蘭子の脇、カメラには映らないポジションに、フルではなくコンボくらいの規模ですがバンド(P.C.L.管弦楽團と思われる)が生演奏しています。
もうこの頃だとダビング(音楽を別に収録して後でフィルムに焼き付ける)は出来るようになっていたはずですが、可能な限り同録にしていたのかもしれません。
もちろん「劇中での設定」なだけで、本当は生演奏はしてなかったって可能性もあるけど。

「びっくり人生」は映画の内容的にはほとんどオススメできないけど、「戦前モダニズム映画がどんな環境で作られていたか」の記録としては大変貴重で、ご興味のある方ならぜひ観て欲しい。
あ、余談ですが、戦後というかGumi-chan1961の舞台である1961年あたりの東宝映画の裏側は、坂本九主演の「アワモリ君乾杯!」をご覧になっていただきたい。
こういう撮影所を舞台にした映画ってのも、定期的に撮るべきですわな。記録としてね。

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