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~これでも仕事用です~

1936年の世の中 from ロッパ日記

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当ブログは戦前モダニズムのことをあーだこーだと書かせてもらっているのですが、そもそも当時の空気を伝えることなど不可能です。ましてやワタシなぞが生まれる30年以上も前なんだから、ぶっちゃけワタシ自身な〜んにも知らないわけです。
ま、そこは割り切って書いているんですけど、そうはいっても、ワタシも知りたい。当時の空気ってヤツをね。

ただマニュアルがないわけではない。
「ロッパの立ち位置」というエントリで書かせていただいた通り、古川緑波が残した膨大な日記は、当時の空気感を知るには現在考えうる最高峰の教材です。
だから戦前の空気感をお知りになりたい方は、是非「古川ロッパ昭和日記」をお読みください。幸い青空文庫に収録されている(1934〜1940年分)ので無料で読むことが出来ます。

・・・とは書いてみたものの、膨大な日記すべてに目を通してもらうのはしのびない。
そこで、ワタシが戦前モダニズムでもとくに重要な年だと認識している1936年のロッパ日記から抜粋してみたいと思います。
もう著作権も切れてるから遠慮なく引用もできるしね。

とはいえ、日記に書かれた大半は仕事にかんすることです。もちろんそれらも、当時の芸能に興味がある人にはすこぶる面白いんだけど、今の人がピンとき辛い固有名詞しか出てこないわけで、早い話が大衆的じゃない。
そこで、うんと、ポイントを絞ってみます。

さて、古川緑波といえば、大の美食家として知られていました。
美食家でも食い道楽でもいいんだけど、とにかく食への執着は凄まじいものがあり、美味いものを食べることに命を懸けていた、といっても言い過ぎじゃない。
美味いものを食えばテンションが上がり、不味いものだとクサるわけで、彼の一喜一憂は、仕事以外はほぼ食にかんしてで決まっていたともいえるのです。

では古川緑波はどのようなものを食べていたか、です。
もしかしたら今の人は、戦前の食事なんて言われると、ものすごく質素な、みたいなイメージを持たれるかもしれません。むろん当時の大半の大衆の食事は、たしかに今よりははるかに質素だったかもしれません。
しかしそれは「美食家」古川緑波には当てはまらない。
はっきりいえば、二十一世紀の、それも高額所得者とほとんど変わらない食事をしているのです。

古川緑波は和食も好きでしたが生の魚が苦手ということもあって、洋食党にカテゴライズされる人でした。
だから日記には当時の洋食メニューが至るところに出てくるのですが、これがすごい。もう、逆に、今と何が違うの?と言いたくなってしまいます。
そう、今の人が洋食といって思い浮かべるほとんどのメニューは戦前の時点で存在、というか、提供するレストランが存在していたのです。

言っておきますけど、カレーライスとかオムライスとか、そのレベルじゃないですよ。普通にムニエルとかココットとかニューバーグとか、スパゲティボロネーゼとか、ポタージュにタンシチュー、と、挙げていったらキリがない。
個人的に驚いたのが、すでにタピオカなんてあったんですね。何か1990年代に流行したものでそれまでは(少なくとも台湾料理屋以外は)なかったイメージだったんだけどさ。

『一人でアラスカへ。アテチョクなんかの出る豪華オルドヴルに、マロボントースト、ポタアジュに小さい魚肉フライの入ったもの、で満腹しちまふ。』(1936年6月26日付日記より)

『徳山(筆者注・徳山璉)と二人で、ニューグランドへ食事しに行く。トマトのポタアジュ、ブフアラモド式の肉の煮込みに、メロンを食ひ、プディングを食ひ、アイスクリームを――かなり満腹である。やはり高いものは、うまい。』(1936年8月16日付日記より)

洋食以外にも

『円タク(タクシー)を支那町(横浜の中華街のこと)へとばし、聘珍の二階で、掛炉焼鴨と八宝全鴨他二三食ふ。最も好きな全鴨は、しこたま、うなる程食った。』(1936年4月28日付日記より)

何というか、贅の極みですな。こんな食事をほぼ毎日繰り返してるんだから、美食家の面目躍如といったところですか。
ま、代償としてか、古川緑波は戦後に痛すぎるしっぺ返しを喰らうのですが、それはまた別の話。
でもこれだけの引用でも「カネさえあれば、今と同等の美味いものが食えた」ってのはわかってもらえるんじゃないかと。

日記には、当時の世相も、もちろん書かれています。
1936年といえば二・二六事件の年であり、阿部定事件の年でもあった。それらについても(軽くですが)日記の中で触れられている。
またエンタツアチャコの初主演映画「あきれた連中」を褒めたりするなど、見巧者としての古川緑波も日記からでさえ読み取れます。

けど、意外とそーゆーのは、後世の人間にとって面白くない。よほどエキセントリックなニュアンスで捉えてなきゃ「常識的な反応」に感じてしまうからです。
そこへいくと「こんなもん食ってたんだ」みたいな方が圧倒的に興味をひく。昔は「食にかんしてを文章にするのは卑しい」みたいな風潮もあったみたいだけど、これは日記だから関係ない。克明に、メニュー名(時には料金も)書かれている。

たしかに庶民とは程遠かったかもしれないけど、食の観点から1936年という時代を見る、というのは、非常に正しいような気がするんですよね。

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