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~これでも仕事用です~

アカオ家だからグミちゃんが作れる

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昨年末、ワタシの母方の家族の歴史について「ヨシミツ家の人々」というタイトルで連作したことがありました。
これを読んだカズミ・アカオから「是非『アカオ家の人々』も書いて欲しい」と要求されましたが、ワタシは即座に断った。
だって「アカオ家の人々」≒「Gumi-chan1961」なんだから、文章として書く必要がまったくないわけでね。

将来的な話になりますが、いずれはGumi-chan1961という作品に様々なエピソードを盛り込んでいく予定なのですが、大半は「カズミ・アカオが幼少時代に実際に体験した」ことをベースにしている。
でもキャラが立つにつれ、だんだん「本当にはなかったかもしれないけど、こういうエピソードも<あり>なんじゃないか」なんてことが浮かんでくるようになる。ま、創作です。

こんなエピソードを思いついたんだけど、とカズミ・アカオに話をすると、毎度毎度驚くべきことをいわれる。
それ、まんまじゃないけど、似たようなことが本当にあった、と。
とにかくアカオ家ってのは、何故こんなに、と思えるほど面白エピソードの宝庫なのですよ。

ではウチ、つまりヨシミツ家でそんな面白エピソードがあったかというと、いくら考えてもぜんぜんない。
「ヨシミツ家の人々」は家族の歴史なので、そういう面白さはあるんだけど、笑えるような話は見事なまでにない。
無理矢理ひとつだけ思い出したけど、いうほど面白くないし。

でもカズミ・アカオは最初、アカオ家を面白おかしく描くことにたいして、かなり抵抗しました。
実際面白いんだからしょうがないじゃん、と思うのですが、カズミ・アカオにとっては「どこの家庭もそんなもの」だと思っていたらしく、なのにウチの家だけ面白おかしくって何か家族ごと馬鹿にされてるみたいだと。

ワタシはアカオ家を馬鹿にする意図は、当然のことながらまったくありません。むしろ「こんな面白い愉快な家族があるからGumi-chan1961という作品が成立する」という意味において、感謝しかない。
本当、よくこの家族の一員であってくれてありがとう!という気持ちなのです。
というか、こんな家族で育ったのなら、半フィクションという形でも作品にする義務がある、とすら思う。

話は変わりますが、最近また佐藤愛子が注目されているようです。
佐藤愛子のことは、いずれ戦前モダニズムのカテゴリで書きたいと思ってるんだけど、複雑を通り越した無茶苦茶な家族については相当咀嚼しないと書けないのです。

とくにワタシからすれば、佐藤愛子サトウ・ハチロー(腹違いの兄)の関係性は面白すぎる。
ひとつだけ書くなら、サトウ・ハチローが作った詩の中でもとくに有名なのが「母さんがぁ夜なべぇをしてぇ、手袋編んでくれたぁ〜」ってあるでしょ。
その詩を読んだ時、佐藤愛子は怒り狂ったらしい。
「嘘ばっかり!テメェ、母親との折り合い最悪だった癖に!!」と。

実際サトウ・ハチローは無茶苦茶な人だったけど、それをいえば佐藤愛子自身も<たいがい>で、いや、佐藤家全員が無茶苦茶だったといえる。本当は無茶苦茶なんて生温い表現ではなく放送禁止用語を使いたいレベルです。
でも、だからこそ「血脈」というとんでもない作品が生まれたわけでね。

スケールこそ違うものの、ワタシはカズミ・アカオに「そういう家族として生まれたんだから、作品にするしかない。佐藤愛子と一緒」と言い続けてきました。
あんな面白い家族を作品にしないと、むしろ失礼だと思う。つか作品にするためにアカオ家の人間として生まれてきたんじゃないかとすら思ってる。

ものすごい言い方をすれば、Gumi-chan1961は「血脈」のほのぼの版、コメディ版、といえるのかもしれません。
小説と立体作品なんて違いは些細なことで、この家族に生まれたからこそ作品が成立する、という意味では、Gumi-chan1961と「血脈」は、底の部分で繋がってると思っているわけで。

前にも書きましたが、Gumi-chan1961は昭和を舞台にしているけど、懐かしい、とか、あったかい気持ちになれる作品とはちょっと違う。
エネルギッシュで、笑えるエピソードだらけ。それは「郷愁の昭和30年代」へのアンチテーゼというよりも、アカオ家がそういう家族だったので、他にやりようがないのです。

あたたかい、人と人との繋がりが何よりも大事、なんてエピソードはGumi-chan1961のキャラクターとは水と油で、アカオ家をモデルにするからにはそういうエピソードは成立しないんです。
もっと無茶苦茶で、有り体の「泣かせ」が通用しない。ワタシはそれがGumi-chan1961の魅力だと思っていますから。

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