~これでも仕事用です~

真「夏」の夜の「夢」

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何か思わせぶりなタイトルですが、シェイクスピアは一切関係ありません。ついでにユーミンも。
ま、更新している曜日が曜日なので、だいたい戦前モダニズムだな、とおわかりでしょうが。

かつて「新青年」という、実に軽薄で実にモダンな雑誌がありました。創刊は1920年ですから大正時代です。
探偵小説、今でいうところのミステリを大々的に掲載し、軽妙なコラムを数多く載せた「新青年」は文学方面で戦前モダニズムを支えた立役者です。

ワタシもずっと「新青年」について書きたい、とは思ってるんだけど、とにかく資料がない。まとめて書くだけの材料を集められないのでペンディングしているわけでして。

新青年」の執筆者は、小説でいえば江戸川乱歩夢野久作小栗虫太郎横溝正史、といった名前が挙がりますが、コラム面で支えた人の中に徳川夢声という人がいました。
徳川夢声は文筆家ではありません。いわゆる活動弁士で、といっても活動弁士の説明が必要な時代ですよね。

これはサイレント映画期特有の職業で、音楽は生バンドが、そしてストーリーの説明は活動弁士がスクリーンの脇で喋るのです。ま、今でいえばナレーションに近い。
彼らは活弁口調ともいえる独特の大仰な語り口で、関西にお住まいの方なら、浜村淳の映画解説に活動弁士の影響が見られる、といえばピンとくるのではないでしょうか。

徳川夢声は特に山の手の人などホワイトカラー(=白の襟付きワイシャツ=サラリーマンを指す)に人気があったと言います。
彼は活弁口調をあえて用いず、独特の間で淡々と喋る。しかもクライマックスのシーンになると黙ってしまう(そういうシーンは映像だけで楽しめるのだから余計な喋りはいらない)という美学を持っていました。そういう洒脱さがウケたのです。

しかしいくら人気があろうが活動弁士は失業する運命にあった。そう、時代がサイレント映画からトーキー映画全盛に変わることは、わかり切ったことだったからです。
失業した徳川夢声は喜劇役者に転じ、古川緑波たちと立ち上げた「笑の王国」を経て、P.C.L.に入社し映画俳優となります。
たぶんこれから「モダニズム映画鑑賞記」に徳川夢声の名前がいっぱい出てくると思うので覚えておいてくださいね。

徳川夢声は裏方としての才能も豊富でした。
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」でやった「ハマショーだらけの野球大会」を彷彿とさせる「井上正夫(新派俳優。老け役を得意とした)しか出てこない芝居」(つまり出演者全員が井上正夫のモノマネで芝居、というかコントをやる)なんてことを昭和の初めにやっているのです。もちろん夢声の発案で。

その徳川夢声が「新青年」で連載していたのが、活動弁士時代を振り返った「くらがり二十年」です。
さらに映画俳優時代を振り返った「あかるみ十五年」も戦後に出版されていますが、ともに、軽妙洒脱という表現がこれほどピッタリくる文章もそうそうない。

戦前期に書かれた文章なんて堅くて真面目なんだろ、なんて思われる方はさすがにおられないでしょうが(夏目漱石の「吾輩は猫である」なんて全編洒落だし)、徳川夢声のコラムというかエッセイはさらにモダンで軽くて、本当に読みやすい。
近年、といっても結構前だけど再刊もされたので、気になる方は是非手にとってみてください。

さてさて、タイトルの「真夏の夜の夢」の「夢」は徳川夢声のことですが、もうひとり「夏」のことを書きたいと思います。といっても夏目漱石じゃないよ。

山本夏彦、というと、名前が作家風なので小説家と勘違いされている方もおられるかもしれませんが、この人はエディター、つまりは編集者です。
しかし編集と並行して数々の名エッセイを書いたので、今では文筆家に分類されるようになりました。

この人がエッセイストとして活動し始めたのは戦後も戦後なのですが、大正期に生まれた山本夏彦が戦前モダニズムの影響を受けてないわけがない。しかも15歳から3年間フランスに滞在している。
実際「新青年」を読んでいたかはさだかではないけど、「新青年」ふうのユーモア溢れる文体で、辛口なのに楽しい、笑える、といった「新青年」イズムを受け継いだ人だといえると思います。

山本夏彦の晩年は「戦前文化の『本当の』姿」を伝えることに捧げられました。
戦後になって語り継がれてきた「戦前は本当に暗い時代だった」という価値観を、体験と検証を交えながら、それは間違いだ、戦前は呑気で明るい世の中だった、と繰り返し主張しています。

ワタシは当ブログで「明るく楽しい」戦前文化について、主に映画と音楽を通して書いてますが、山本夏彦の主張はもっと実質的で実に面白い。
まァ、ちょっとイデオロギーの部分があるので紹介しづらいんだけど。

とはいえユーモア文体で書かれているので、嫌な感じは一切ない。ただ何事においても主張が極めてハッキリしているので、え?そこまでいうことはないんじゃないの?くらいは思いますけどね。
その点、徳川夢声のエッセイはかなり自虐混じりなので、こっちの方が今の人に受け入れられやすいと思う。
ま、ワタシはどっちも好きなんですがね。

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