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~これでも仕事用です~

紀元2600年の三つの幻

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「ねえ、研究所って、どんなとこなの?大きいんでしょ?」
「本館のほうは広いけど、いまぼくのいるテレビジョン研究室は木造二階建てだ。もうじき増築することになっているけどね。二階に部長室があって、ぼくのいる受像管試験室は、そのとなりのとなりだ。」
「ぜんぶでいく部屋あるの?」
「ええと、一階と二階で十五ぐらいかな。あ、北側に二階まで吹き抜けのスタジオがある。」

以前紹介した、夭折の天才SF作家である広瀬正のホワットイフ小説「エロス」からの引用ですが、この作品の主人公・慎一は弱電好きで、大学卒業後にテレビジョンの研究をする機関に勤める、という設定になっています。
時代でいえば1937年。と書くと、え?その頃からテレビなんかあった? と訝しがる人がおられるかもしれません。小説でしょ?つまりテレビにかんすることもフィクションですよねと。

しかし戦前の時点で、すでにテレビ放送の目処が立ちつつあったのは本当です。
テレビの本放送開始は、ご承知のように1953年です。しかし1940年の本放送開始を目指して開発が行われていました。
その辺りの事情を詳しく調査した書籍が今年になって発売されました。タイトルは「紀元2600年のテレビドラマ」。

まず「紀元2600年」について説明した方がいいでしょう。
今では「紀元」というと「西暦」とほぼ同じ意味で使われていますが、戦前戦中期には違った。
この頃の「紀元」とは「皇紀」とも言われた。歴史好きな方なら「ああ、日本書紀」と理解してもらえるでしょうが、日本書紀で書かれた神武天皇の即位した年を「紀元」と定めた年号です。

ああ、どうも堅いな。堅いことから書かなきゃしょうがないんだけど、これじゃ誰も読んでくれないか。
心を入れ替えて、もう少しだけ柔らかく書きます。

とにかく1940年、昭和15年は「紀元2600年」にあたる年だったんですね。だからこの年に向けて様々な記念行事が1930年代に入った頃から企画され始めます。
ま、祭りです。それもなるべくどデカい、世界中の人々の目を日本に向けさせる、世界に日本の国力を誇示できる、そんなスケールのデカい祭り。

となったら、もうオリンピックしかない。

2020年に東京で二度目のオリンピックが開催されますが、実は1964年の前、1940年にもオリンピックが開催される予定だった、というのは今では広く知られています。
結局長引く日中の緊迫関係を理由に開催を返上することになるのですが、IOCの投票を経て1936年に開催が正式決定したのは事実です。

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当時の「古川ロッパ昭和日記」を読むと

『(前略)オリムピック四年後東京に開催とのニュース、新聞に出てる。丁度「東京オリムピック」を出したのはよかった。』(1936年8月1日分より)

とあります。
古川緑波はたしかに「東京オリムピック」というレコードを出していますが(現在発売されているCDにも収録されている)、何と発売したのは開催が正式決定する前だったんですね。しかもかなり早い段階でステージ等でこの楽曲を歌っている。
つまり東京開催がかなり楽観視されていた証拠でしょう。
事実、ヘルシンキとの決戦投票でも大差で快勝しています。

しかしこの年、もうひとつ幻のオリンピックが予定されていました。
この頃は夏季オリンピック冬季オリンピックは同年に行われるのが通例で、実は1940年の冬季オリンピックは札幌で開催されることが決定していたのです。
もちろんこちらも返上という結果になりましたが。

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さてさて、最初にテレビジョンの本放送が1940年に向けて実験が行われていたと書きましたが、これは当然「東京オリンピックをテレビ中継する」ことを目標にしていたからに他ありません。
しかしオリンピックの返上が正式決定してからも実験放送は続けられ、1941年には定時放送まで行われている。
実験中断の理由はもちろん「大東亜戦争」の開戦ですが、詳細を知りたい方は是非「紀元2600年のテレビドラマ」をお読みください。

さらに本当は、もうひとつ、どデカい記念行事が行われる予定でした。
オリンピック以外に日本の国力を誇示する行事、となったら、もう万国博覧会以外ない。
1940年3月15日から8月31日までの予定で、開催場所として東京の湾岸沿いの晴海あたり(と一部横浜)が選ばれました。

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それにしても、厳密には時期は重なっていないものの、万博とオリンピックの同年開催はいくらなんでも無茶で、海外からの観光客を大量に受け入れた経験がまったくなかったこの時期に、こんなことが可能だと判断したのがすごい。

しかも11月10日からは記念式典と、それに関連した(現在では「戦前最後のガス抜き」といわれている)祝賀祭も待ち受けていました。
これは昨今の地域単位の祭りとはまったく違い、まさしく国を挙げての大行事で、当時許されなかった昼酒が許可されるなど、この規模の祭りは後にも先にもない、といえるスケールの大きさでした。
さらにいえば、万博の前には札幌オリンピックが開催される予定だったし。

整理すると
・2月3日から14日 札幌オリンピック
・3月15日から8月31日 万国博覧会
・9月21日から10月6日 東京オリンピック
・11月10日から14日 紀元2600年祝賀祭
ということになります。

まァ、情勢関係なく、一年のうちにこれだけの行事を行うというのは、いくら時代が違うとはいえ不可能に近く、やらない方が良かったんじゃないでしょうかね。本当にやってたら、国力を誇示するどころか徹底的な混乱を招いて逆に恥をかいてたよ。

それでも、もし情勢さえ安定していたら、オリンピック、万博、テレビ本放送が実現していたはずで、「消えモノ」であるオリンピックと万博はともかく、テレビの歴史は確実に、しかも大きく変わっていたのは間違いない。
いや、仮に日米の開戦が避けられなかったとしても、あと一年遅かったら本放送は開始されていたと思う。それくらい「あとちょっと」のところまで来てたんだから。

結果的にテレビの開発は中断し、それらの技術は軍用として活用すべく転用されました。
しかしそれさえも中途で終わってしまう。日に日に戦局が悪化し、軍用としてでさえも開発費を捻出できなくなったからです。

にしても・・・、これらの事実を元に、というか、そこから着想して「エロス」なる物語を作った(しかも今ほど資料が明らかにされてなかった1970年代に!)広瀬正には本当に恐れ入る。
たぶん広瀬正がもっと生きてたら、ホワットイフ物として、1940年のオリンピックや万博を題材にして書いたかも、と思うと、心の底から残念でなりませんよ。

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