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~これでも仕事用です~

ヨコハマ昭和旅

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今回はちょっと変わったことを。

長らく神奈川県に在住していながら、そしてそういった情報をかなり前から知っていながら、スルーし続けた場所があります。
それはJR鶴見線国道駅です。
とにかく「昭和の頃の高架下の雰囲気が残っている」と評判で、実際行った人のブログ記事も相当数ありますし、テレビの情報番組で紹介されてたのも見たことがある。

それでもワタシは足を運ぼうともしなかった。
はっきりいって、この手の「昭和の香りがする」スポットは食傷気味で、散々いろんな場所に行ったし、そしてほとんどの場合期待を裏切られてきた。
もうぶっちゃけていえば、どこもかしこも、わざとらしすぎる。正直それなら「テーマパーク」として完全に割り切っている、新横浜ラーメン博物館や台場一丁目商店街の方が楽しめます。

そもそもの話ですが、昭和の、それも中頃くらいまでに建てられた普通の民家は、全部とは言わないけど、いろいろ寿命がきている場合がほとんどです。
古い木造建築を長く使うとなったら、ものすごく手入れをしなきゃいけない。たった一軒ならともかく、街全部の木造建築の状態を保持する、なんて、もうほぼ不可能です。

ただ今回ワタシが訪れた国道駅は、かなり特殊な環境で、風雪に耐えやすい高架下だったこと、さらに鶴見線という完全な支線であったため大掛かりな改装の必要がなかったこと、など、すべてが上手い具合に作用して、偶然「昭和的」な空気が残ったんですね。

それでも、写真や映像で見れば十分、わざわざ行くまでもない、と思っていたのですが、地図で国道駅周辺を調べてみると、ある事に気がついた。
ある事ってのは、後で書きますが、とにかく行ってきたわけです。国道駅に。

まずは京浜東北線鶴見駅へ。そしてそこから鶴見線に乗り換えるのですが、鶴見線のプラットホームからして、いい感じに寂れている。
うん、まずは良い良い。

国道駅鶴見駅の次の駅、時間にして2、3分ってところですか。だから旅愁気分に浸る間もなく、アッという間に、国道駅に着いた。
ちなみにこの国道駅、無人駅ですが、さすが時代です。ちゃんとスイカをタッチできるようになっています。

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↑ こんな感じ。これで早く雰囲気が出ないのでモノクロに加工してみます。

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↑ 頑張ったらさすがにそれっぽくは見えるけど、ここまでやったら大抵の場所はそれっぽく見えるよな

ところでこの高架下、黒澤明の初期の名作「野良犬」でロケ地として使われた、とありますが、これがどこのことだかさっぱりわからない。
ワタシは「野良犬」にかんしては、もう擦切れるほど観ているんだけど、まったくどこのシーンかわからないんです。

というか、この話、本当なのか?つか「野良犬」が作られたのが1949年。この頃ならこういう高架下は都内にも山ほどあったはずで、わざわざ鶴見までロケに来たってこと自体が、にわかに信じられない。
「野良犬」は新東宝製作なので、製作資料が残っていなさそうなのが残念です。東宝なら、たとえば「醉いどれ天使」の製作資料が結構残ってたりするんだけどさ。

なんか今回は口が悪いな。もう少しお上品にまいります。

さてさて、先ほど地図で何かを発見した、みたいな感じで書きましたが、その続きです。
国道駅から徒歩数分の場所に、京急花月園前、という駅があります。
・・・花月園花月園って、もしかして、あの花月園!?

ここから昭和は昭和でも、当ブログのもうひとつの軸である戦前モダニズムの話に飛びます。
今現在、「花月園前駅」なんて言われても、肝心の花月園が存在しないので何のことかわかりづらいのですが、かつてここは日本でもトップクラスのアミューズメント施設があった場所なんです。
その名前こそが花月園で、時代でいえは大正時代になります。

『当初の敷地は2万5千坪であった。動物園、噴水、花壇、ブランコなどの施設から始まり、「大山すべり」、「豆汽車」などのアトラクションが追加されていった。』(Wikipediaより)

ここまでだったらワタシはそこまで興味は惹かれない。しかしここからがワタシ的に凄い。
動物園などと併設される形で「日本で最初」の本格的ダンスホール花月園内に設置されたのです。
ここで当時最先端だったジャズが演奏された、というのはワタシ的には胸が熱すぎる。

プレーヤーも当時のトップクラスで、瀬川昌久氏の「ジャズで踊って」によると、宍倉脩、阿部万次郎、仁木他喜雄、原田六郎、井田一郎、といった錚々たるメンツで、とくにジャズの発展に大きく貢献したのは、プレーヤーとしては井田一郎、そしてコンポーザーに転じた仁木他喜雄でしょう。
ま、この辺の話は深くやり過ぎると嫌がられるんでおしまい。

しかし昭和に入ってから都内にもダンスホールが出来、また遊園地は遊園地でもっと便利な場所に出来始めたこともあって、経営が悪化し倒産、遊園地跡は競輪場になりましたが、それも2010年で廃止になっています。
だから今現在は何にもないのです。でも跡地に行ってみたいのは行ってみたいし、先の国道駅とセットなら、と思って、ね。

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国道駅から花月園前駅に向かう途中、こんないい感じの店がありました

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↑これが京急花月園前駅

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↑ 歩道橋で線路を渡ります

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↑ かつてこんな感じだった場所が

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↑ 今はこんな感じに。完全に造成地です。ま、わかってたんだけどね

でも正直ね、一番「昭和」を感じたのは、国道駅でも花月園跡地でもなく、京急の鈍行の座席でした。
長いシートで、とにかくクッションが異様に柔らかい。
そうそう、昔の電車のシートって、異様に柔らかいか、逆にクッション性ゼロのガチガチに硬いやつか、どっちかだったんですよね。

わざわざ行った場所ではなく、思わぬところにこそ「昭和」はあるんです。それを再確認できただけでも良い旅でした。

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